
(写真AC)
■「管理鳥獣」に指定
昨日、環境大臣の指示で、環境庁が「捕獲や駆除のための交付金の対象となる『指定管理鳥獣』にクマを追加する検討を始めた」という報道がありました。
朝日新聞デジタル
クマ捕獲の資金支援拡大を 「指定管理鳥獣」化へ環境相が検討指示
これは、連日、熊出没のニュースが流れている北海道と東北地方の知事会からの要望を受けてのものです。
「管理鳥獣」に指定されれば、イノシシやニホンジカと同じように、捕獲や駆除のために交付金がつくことになるそうです。
2014年に従来の鳥獣保護法から、農林水産業などに害を与える鳥獣については、適正な数に減らすことができるように定めた鳥獣保護管理法に法律が変わったのですが、その対象となる「管理鳥獣」に熊も加えようというわけです。
鳥獣保護管理法の成立に伴い、奥多摩には町主導で鹿肉加工場が作られたのですが、もしかしたら昔の”野蛮な時代”のように、熊肉もジビエとして売買されるようになるのかもしれません。
メディアは、知事たちが熊対策のための「財政支援」を要望したと曖昧な表現で報じていますが、鳥獣保護管理法に基いた「管理鳥獣」の指定というのは、駆除の解禁であり、そのために交付金を支給するということです。
具体的には、鳥獣保護管理法で定められている「捕獲の禁止」や「捕獲した鳥獣の放置の禁止」や「夜間銃猟の禁止」の適用が外されるのです。つまり、熊に対しても、捕獲していいし、捕獲した熊を今のように山に離さなくていいし、夜狩猟することも可能になるのです。「管理鳥獣」指定の眼目は駆除なのです。そして、奥多摩の鹿肉加工場のような、駆除や処理に関連する事業に対して交付金が支給されるようになります。また、駆除の実務を担う鳥獣ハンターが高齢化しているため、「管理鳥獣」に関しては、一定の条件をクリアした企業や団体が(営利目的で)駆除することも認められているのでした。
■熊の絶滅を招いたハンターの密猟
熊(ツキノワグマ)は、私の田舎の九州では既に絶滅しています。四国も現在生存している個体は10数頭と言われており、絶滅が危惧されています。と言うか、このままでは絶滅するのは避けられないでしょう。
西日本で熊が減少した要因のひとつとして上げられているのは、ハンターの密猟です。熊に限らず、1990年代までハンターによる密猟が横行していたそうです。
昔は狩猟が盛んで、私の家は写真館でしたが、狩猟免許の切り替え時期になると、更新用の写真を撮る人たちが引きも切らず来ていました。実家は久住連山の麓の温泉町にありましたが、近所には自転車屋を兼ねた銃砲店もあったくらいです。
でも、そういう人たちは東日本で言うマタギのような狩猟を生業にする人たちではなく、有害鳥獣の駆除という建前のもと、趣味で(遊びで)狩猟をする人たちでした。当時は、山に登ることと山で狩猟をすることが地元の人たちのレジャーだったのです。
■すべては人間の都合
熊が人里に現れるようになったのは、林業の衰退で森林の管理が行き届かず、森林が荒廃したのに加えて、山に入る人間も少なくなったために、熊の行動範囲(生息域)がおのずと広がって、熊と人里の住民との距離が近くなったからだと言われています。
特に今年は、熊が好むドングリの木であるブナやミズナラが不作のため、冬眠するための栄養補給に窮して食べ物を求めて里に下りてきたという背景もあるようです。
しかし、そういったことも含めてすべては人間の都合によるものです。にもかかわらず、「管理鳥獣」に指定され、交付金まで出して駆除が奨励されるのは、熊にとっては受難以外の何物でもないでしょう。
本州に生息するツキノワグマに限って言えば、現在の個体数は12000頭前後と言われています。特別天然記念物に指定されているニホンカモシカは全国で約10万頭いるそうですから、熊の個体数がいかに少ないかということがわかります。それなのに、さらに個体数を減らそうというのです。
記事にあるように、10月末の時点で150件の人身被害はたしかに多いとは思いますが、しかし、その対策がハンターを使った(そして、実質的な"報奨金"を伴った)駆除というのでは、あまりにも短絡的で野蛮な自然保護に逆行する発想だとしか言いようがありません。人間にとって、熊は憎むべき敵なのかと思ってしまいます。
■登山道ではよほどのことがない限り熊と遭遇しない
私は、山に登るときはいつも一人ですが、今まで熊に遭遇したのは1回だけです。それも登山道を外れたときに会いました。ただ、奥多摩や秩父あたりでは、熊の痕跡を見かけることはめずらしくありません。
私たちは熊の生活圏に入るのですから、安全のためには彼らの痕跡を知ることが大事だし、その知識も必要なのです。メディアは、あたかも「人食い熊」が出没しているかのようにセンセーショナルに報じていますが、人身被害の大半は事故と呼んでもいいようなものです。
登山者が登山中に襲われたという事例は、最近北海道でありましたが、今まではほとんど聞いたことがありません。登山道を歩いていれば、よほどのことがない限り、熊と出会うことはないのです。と言うか、実際は出会っているのですが、熊も人間が通る道だということがわかっているので、逃げるか、身を隠すかしているのです。だから、熊鈴や笛やラジオなど音の出るもので、人間が通ることを熊に知らせる必要があるのです。
被害に遭った人の話でも、「突然現れて襲い掛かってきた」というケースが大半ですが、それは鉢合わせになったということです。鉢合わせになれば、熊だけでなく、犬だって人間だって誰だってびっくりしてパニックになることはあるでしょう。臆病な動物なので、びっくりするとよけい興奮するのでしょう。だから、鉢合わせを避けるために、自分の居場所を知らせることが大事なのです。
それよりも、春先に仔熊に遭遇することの方が怖い気がします。私自身も、仔熊の鳴き声を聞いて、あわててその場から立ち去ったことがありました。知らないうちに仔熊と母熊の間に入ると、仔熊を守ろうとする母熊から襲われると言われていますので、仔熊を見かけたときが一番危険と言えば危険と言えるでしょう。
■自分たちのマナーの問題を熊に転嫁する身勝手な人間たち
私は、普段、熊鈴以外にも首から笛を下げていて、見通しの悪いところを歩くときなどは必ず笛を吹くようにしています。
秩父などの小学校では、登下校する子どもたちが熊鈴を鳴らしていますが、ハイカーの中には、熊鈴がうるさいと顔をしかめたり、熊鈴を鳴らすと逆に熊をおびき寄せることになるなどと、ヤフコメ民みたいなことを言う手合いがいるのです。事故を防ぐには、そういったハイカーの非常識や無知を問題にする方が先決ではないかと思います。
また、山頂でお湯を沸かしてインスタントラーメンを食べたり、持って来た弁当を食べたりした際に、食べ残したものをちゃんと持ち帰っているのかという疑問もあります。山頂や休憩場所の藪の中などに入ると、あちこちにティッシュが捨てられているのを見かけますが、その程度のマナーしかないハイカーたちが、食べ残したものを持ち帰っているとはとても思えません。
どうしてこんなことを言うのかと言えば、人間が食べ残したものを食べることで、熊が人間の食べ物の味を知ることになるからです。あれだけの大きな哺乳類の動物なのですから、私たちが想像する以上に賢くて学習能力が優れているのは間違いないでしょう。
前に上高地の小梨平のキャンプ場で、夜間、ゴミ箱を漁りに来た熊によって人身事故が発生したのですが、その熊は人間の食べ物の味を知ってしまった可哀想な熊とも言えるのです。被害に遭ったハイカーは、「熊に申し訳ない」と言って、『山と渓谷』誌などで事故を検証した文章を発表していましたが、野生動物と共存するためには(お互いに不幸にならないためには)野生動物に対する正しい知識と人間も自然の一員だという謙虚な姿勢が求められているのです。
ましてやハンターや山仕事や渓流釣りの人たちは、食べ残したものを持ち帰るなどというマナーははなからないのです。彼らを啓蒙することも必要でしょう。
また、ウソかホントかわかりませんが、山中に放置された鹿の肉などを食べることによって熊が肉の味を覚え、肉の味を覚えた危険な熊が人里に近づいてくるようになったという話もありますが、鹿の死体を放置するのはほかならぬハンターたちです。
私も山で地元のハンターに会ったことが何度かありますが、彼らは一般車が通行禁止の林道を軽トラに乗って奥の方までやって来ると、GPSのアンテナを装着したロボットのような猟犬を連れて山に入って行くのでした。しかも、俺たちは山の主だと言わんばかりの横着な爺さんが多いのでした。発砲音が聞こえると、爺さんに間違って撃たれるのではないかと不安になります。よく木に「発砲注意」と書かれた札が下げられていることがありますが、「落石注意」と同じでどう注意すればいいんだと思うのでした。
「マタギの文化」をまるで古き良き時代の習俗のように持ち上げ、熊と格闘した(?)マタギをヒーローのように伝説化する登山関係者も多いのですが、マタギによる野放図な狩猟が熊の減少につながったということも忘れてはならないのです。
山菜取りの人間が熊の被害に遭うことが多いのは、道を外れて普段人が足を踏み入れない奥に入り、山菜を探すのに夢中になるからで、彼らは熊鈴さえ持ってないケースが多いのです。あれでは熊と鉢合わせになり、パニックになった熊から襲われることはあり得るでしょう。
運不運もありますが、多くは人間の側の問題なのです。それを熊のせいにして、僅か12000頭しかいない熊を行政がお金が出してまで駆除しようというのです。
そこにあるのは、「人食い熊」の出没みたいなメディアの無責任でセンセーショナルな報道と、それに連動した地元の政治家たちのポピュリズムと、ヤフコメに代表されるような最低の日本人の「脊髄反射」(古い?)による無見識な世論だけです。自然の保全や鳥獣保護や野生動物との共存などというのは、高尚な現実離れした考えのように言われ一笑に付されるだけなのでした。
エコバックを持って買い物に行き、パンダが可愛いと大騒ぎして、自分の家の犬や猫を溺愛する者たちが、熊のことになると目を吊り上げて、「人食い熊」は殺せと叫んでいるのです。
何と傲慢で野蛮で身勝手な人間たちなのでしょうか。私は熊が不憫に思えてなりません。
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