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(2023年12月)



■花粉症の薬の処方


また、私事から書きますが、昨日、さっそく花粉症の薬を処方して貰うために、かかりつけの病院に行きました。ドクターに花粉症の症状が出始めたと言ったら、びっくりしていました。

「やっぱり、この異常な気候が影響しているのかもしれませんね。今年は11月まで夏日が続き、秋がほとんどなかったですからね」と言っていました。私が山に行くのを知っているので、「熊も里に下りて来たりして大変みたいですが、気を付けてくださいよ」と言われました。

「この前も途中の集落の人と話をしたんですが、今年はブナやミズナラが不作どころか凶作と言ってもいいような状況だそうで、熊も餌がなくて生きるのに必死なんだと思いますよ。野生動物の間でも餌の争奪戦が激しくなっているようです。争いからはじき出された熊が里に下りて、鉢合わせした人間に過剰に反応するのも、争いの影響があるのではないかと言われているそうです」
「なるほどね。餓えると人間でも本能がむき出しになりますからね」
「人食い熊のように言われ、問答無用のように射殺されるのは可哀想ですよ。僅か1万2千頭しかいないのに、個体が増えたのが原因だなどと言って、補助金を出して”駆除”しているのです。そもそも”駆除”という役所用語自体がおかしい。人間の傲慢を表している言葉だと思いますね」

薬局でも、「花粉症の症状がもう出ているのですか?」と訊かれました。「去年は2月に一度処方されただけですのでびっくりしました」と言われました。

「花粉症の患者さんはまだ少ないですか?」
「たまにいらっしゃいますけど、皆さん、インフルエンザか花粉症かわからないと言うのです」
「でも、インフルは熱が出るけど花粉症は熱が出ない。その違いははっきりしていますけどね」
「そうなんですけどね。何だかわかってないみたいです」と言っていました。

前も書きましたが、かかりつけの病院は現金一択なので、ATMで5千円を下ろして行きました。会計をする際、「今日は390円です」と言われたので、一瞬聞き間違いかと思ったほどです。その一週間前は、インフルエンザの予防接種も受けたので、支払いは5千円以上ありました。処方箋を出して貰うだけだとそんなに安いんだと思いました。無駄話をして何だかドクターに申し訳ないような気持になりました。

■左派リベラルの瞬間芸


このブログを読んでいただけるとわかるかと思いますが、私は、いわゆる左派リベラルの言説に対して、ずっと違和感と反発を抱いてきました。

そのもっともわかりやすい例がYouTubeです。YouTubeにはリベラル系のチャンネルがここ2年くらいでいくつか登場しましたが、出演するゲストの多くはテレビの吉本芸人と同じようにおなじみの顔ぶれで、言うなれば使いまわしです。そんなに人材がいないのかと思ってしまいます。

今回の裏金問題についても、彼らはただ政治家の悪口を言って留飲を下げているだけです。告発があったとは言え、東京地検特捜部がここに来てどうして捜査に乗り出したのか。もちろん、「検察の正義」というような、そんな単純な話ではないでしょう。検察も権力の一部なのですから(というか、検察は権力の守り神なのですから)、政治家絡みの事件の場合、彼らがやっていることを額面通りに受け取ることができないのは常識中の常識のはずです。

財務省は、自分たちの意に従わない人物や勢力に対して、国税を使って税務調査を行い脱税などの罪で意趣返しするのが常ですが、その末端で使い走りしているのが検察です。そこに伏在するのは、この国を牛耳る官僚たちの「国家は俺たちが動かしているんだ」という自負です。そのために、ときに政治と官僚が対立することもあるのです。

ただ政治家の悪口を言って留飲を下げるだけでなく、そういった”裏読み”も必要なのです。でないと、「検察の正義」で終わるだけでしょう。

YouTubeのリベラル系チャンネルで語られていることは、検察バンザイか、検察は手ぬるいという話ばかりで、権力内部の暗闘=権力闘争という視点は提示されないのでした。

かつてのロッキード事件のとき、私はまだ子どもでしたが、それがアメリカの東部エスタブリッシュメント(=ダクラス・グラマン)と西部の新興の「オレンジ資本」(=ロッキード)の対立が反映されたものだという見方があることをあとで知り、文字通り目から鱗が落ちる気がしました。その見方を示したのは、日本共産党を離党して評論活動を始めていた故・山川暁夫氏でした。

謀略論と違って、ものごとには”裏読み”が必要な場合があるでしょう。”裏読み”しなければ、ものごとの本質に行き着かない場合もあるのです。

左派リベラルはもやは状況を剔抉する視点を持ってないのです。目の前に上がって来る現実を見て、怒ったり喝さいをあげたりするだけです。そういう瞬間芸を演じるだけの存在になっているのです。

YouTubeにはお追従コメントが付きものです。どんなYouTubeでも必ずお追従コメントが付くのです。信者たちのお追従コメントを真に受けると、「これでいいんだ」と天才バカモンのパパのような気持になり、大いなる勘違いをすることになるでしょう。ネットは克己がない夜郎自大の世界だと言われますが、YouTubeも例外ではないのです。

■〈中道〉に逃避した政治


裏金問題にしても、検察がここまで赤裸々に権力闘争に介入するのは、それだけ権力に余裕があるからでしょう。(心の中で)「検察バンザイ」を叫びながら、この不正を政権交代に結び付けなければならない、なんてよく言えるなと思います。

左派リベラルは完全に当事者能力を失っているのです。何故、当事者能力を失ったかと言えば、〈ラジカリズム〉を放棄したからです。(前も書きましたが)シャンタル・ムフが言う「闘技的アゴニスティック」な政治を回避して〈中道〉に逃避したからです。

(略)政治の対抗モデルと右-左の対立を時代遅れであると主張し、中道右派と中道左派の「中道での合意」を歓迎することで、いわゆる「ラジカルな中道」は専門家支配テクノクラシーによる政治形態を進めることになった。この考え方によれば、政治とは党派的対立ではなく、公共の事柄を中立的にマネジメントすることとされたのだ。
(シャンタル・ムフ『左派ポピュリズム』・明石書店)


松下政経塾で学ぶ「政治」は、どう公共の事柄をマネジメントするかなのです。それが、「政治」とされたのです。旧民主党政権が消費増税を主張して政権が崩壊したにもかかわらず、今なお立憲民主党などが頑迷にそれを主張し続けるのは、松下政経塾で学んだ「政治」を墨守し、”ザイム真理教”とヤユされるくらい、増税を前提とした財政再建論や国家論を財務官僚と共有しているからです。こんなのが野党であるわけがないのです。

まして、ノブタ待望論なんて気が狂っているとしか思えません。しかも、彼は現在、立憲民主党の最高顧問に鎮座ましましているのでした。25年以上船橋の街頭で演説をしてきたとか、37年間駅前で早朝のビラ配りを続けてきたとか、そんなものが政治家としての彼の評価と何の関係があるというのでしょうか。村会議員じゃないのです。とどのつまり、彼の「政治」は、そんな日本の古い政治風土を体現したものにすぎないのです。選挙の際、有権者の前で土下座して支持を訴えるような、そんな世界の政治家にすぎないのです。当時の故安倍晋三自民党総裁との党首討論で見せたピエロぶりが、すべてを物語っているでしょう。

シャンタル・ムフは、デモクラシーの根源化(ラディカル・デモクラシー)による闘技的な政治を復活するためには、〈中道〉化した左派リベラルが忌避してきた議会外の街頭闘争の政治的効果インパクトを再評価することが大事だと言います。

誰も言わないけど、今の裏金問題も、たとえそれが権力闘争であっても、山上徹也のテロが遠因になっているのはたしかでしょう。そのインパクトは、ことの良し悪しを越えて否定することができないのです。

 リベラルな論者たちが装ってきたものとは異なり、国家は中立的な領野ではない。それはつねにヘゲモニーによって構造化されており、対抗ヘゲモニー的な闘争にとって重要な足場を構成している。しかし、国家は介入のための唯一の足場というわけではない。政党と運動を対立させたり、議会内と議会外の闘争を対立させることは拒否されなければならない。民主主義の闘技モデルにしたがえば、民主主義の根源化のために介入すべき多様な闘技的公共空間が存在する。議会という伝統的な政治空間は、政策的決定が行われる唯一の空間ではないということだ。代表制は重要な役割を保持もしくは回復すべきではあるが、民主的な新しい形態には、民主主義の根源化が必要となる。
(同上)

2023.12.23 Sat l 社会・メディア l top ▲