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■「ワイドナショー」出演見合わせの方針転換


松本人志が活動を休止すると発表したのが1月8日です。その際、松本はみずからのX(旧ツイッター)で、「事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす」と投稿し、波紋を呼んだのでした。

翌日にはフジテレビと同系列の産経新聞も「ワイドナショー」に出演と書いたので、出演は確定的と受け取られ、出演の是非をめぐって論議が沸き起こったのでした。

ところが、10日になって一転、フジテレビは、吉本興業と協議をした結果、松本人志の出演は見合わせると発表したのでした。

これだけを見ると、松本の暴走と受け取られるかもしれませんが、決してそうではなく、現場では出演の内諾を得ていたとみるのが自然でしょう。

既に降板しているとは言え、それだけ松本には番組に対する影響力を持っていたのでしょう。実際にメイン司会は松本の子飼いの東野幸治が務めていますし、レギュラーコメンテーターも松本と近い田村淳と今田耕司が担当してます。

ただ、一部で指摘されていますが、松本が出演する番組では、スポンサー企業が企業名を外すなど、実質的なスポンサー離れがはじまっていたのです。つまり、企業も#MeToo運動に敏感にならざるを得なくなったということです。それが新しい時代の地平なのです。被害を受けた女性が文春に告発したのも、そういった時代背景と無関係ではないのです。

それで、あわてたフジテレビは吉本と協議をして急遽方針を変更したのでしょう。松本が「ワイドナショー」に出ることを知らなかったフジテレビの幹部が出演を知って、出演にストップをかけたみたいな報道がありますが、フジテレビが言うことですから、カマトトな作り話のように思えてなりません。

■「追記」の再掲


私は、活動休止のニュースが流れたとき、前に書いた記事に「追記」として下記のような文章を書き加えました。その部分を再掲します。

関連記事:
松本人志という哀しきピエロ(※追記あり)

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本日、松本人志が芸能活動を休止するという「速報」がありました。吉本興業によれば、松本人志から「『様々な記事と対峙(たいじ)して、裁判に注力したい』とし、活動を休止したいという強い意志が示された」(朝日の記事より)のだそうです。

テレビの画面から察するに、その言動とは裏腹に彼自身は小心な性格のような気がしますが、ここに来てその性格がモロに出た感じです。そもそも記事に書かれたことが事実なら、記事に登場する松本人志は文字通りの裸の王様なのです。

既に旬が過ぎただけでなく、その芸風から言ってももう笑えない芸人になってしまったダウンタウンの松本人志は、このまま永遠にフェードアウトするしかないでしょう。

「裁判に注力したい」というのもめいっぱいの虚勢のつもりなのでしょうが、もう虚勢にすらなってないのです。

文春がほのめかしているように、今後あらたな証言が出て来る可能性は高く、「裁判に注力」するどころか泥沼に引きずり込まれる可能性の方が高いでしょう。

松本人志は文字通り堕ちた偶像になったのです。そんな逆風が吹き始めたのを察知して活動休止したというのが、今日の「速報」の真相だと思います。記者会見もやりたくない小心な人間が選んだ”最善の方法”が、活動中止から引退という姑息な方法だったのではないか。

活動休止の発表後、松本人志はみずからのX(旧ツイッター)を更新して、「事実無根なので闘いまーす」と投稿したそうですが、これが還暦を迎えたおっさんの日本語かと思うと、哀しくもせつないものがあります。文字通り引かれ者の小唄と言うべきでしょう。足掻けば足掻くほど笑えないギャグしか出て来ない。もう完全に終わっているのです。

一方で、テレビなどのメディアは、ここに至っても吉本のコメントを垂れ流すだけで、多分に腰が引けたおざなりな報道に終始しています。あれだけ人の揚げ足とりが得意なワイドショーも、独自の取材さえ行ってないのです。ジャニー喜多川の性加害と同じように、触らぬ神に祟りなしの姿勢なのです。

けだし、吉本興業とテレビ局の“不純な関係”については、何ひとつカタが付いてないのです。これからはこの問題も、松本人志のスキャンダル以上に注視する必要があるでしょう。

吉本による公共の電波の私物化をテレビ局が許していたという、とんでもない問題なのです。お笑いだから許されるというような惚けた話ではないのです。

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■吉本興業とテレビ局の“不純な関係”の背景


もっとも、松本が裸の王様になった背景、つまり、吉本に公共の電波の私物化を許している「吉本興業とテレビ局の“不純な関係”」にはちゃんとした背景があるのです。

下記の図は、ちょっと古いですが、2015年5月現在の吉本興業の主要株主の持ち株比率です。

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これを見ると一目瞭然ですが、在京のキー局がずらりと名を連ねています。また、表には出ていませんが、下位には関西テレビ放送株式会社、讀賣テレビ放送株式会社、テレビ大阪株式会社の名もあります。

吉本興業は2009年9月に、元ソニー会長の出井伸之氏が代表を務める投資会社による株式公開買い付け(TOB)に賛同し、上場を廃止して、上記のような株主の構成に変わったのでした。

つまり、吉本興業とテレビ局は利害を共有する関係になったのです。テレビ局が吉本に公共の電波の私物化を許しているのも、それが自分たちの利益になるからです。

そう考えれば、吉本とテレビ局の関係は、ジャニーズ事務所との関係の比ではありません。ジャニーズ事務所の場合、資本関係があったわけではないのです。ただ、取引上の忖度がはたらいただけです。でも、吉本との関係はそうではないのです。資本のつながりがあるわけですから、吉本が番組制作に大きく関わり、どのチャンネルをひねっても吉本の芸人が出ているのは当然と言えば当然なのです。

さらに吉本興業の現社長も前社長(後に会長)も、ダウンタウンのマネージャーだった人物です。そういった背景のもと、松本人志は、吉本だけでなくテレビのお笑いの世界においても、誰も逆らえない絶対的な権力を持つようになったのです。私に言わせれば、ただのチンピラのおっさんがお笑い界に君臨するようになったのです。

そして、彼の歓心を買うために、各地に接待担当の女衒芸人がいて、彼に素人女性を上納アテンドするシステムが作られたのです(と言われているのです)。

中には、博多大吉が、九州時代に女衒を担当した際の苦労を語っていたテレビ番組が発掘され、ネットにアップされるという余波まで生じているのでした。

■「ふしだらな女」の論理


吉本興業の成り立ちを見てもわかるとおり、もともと興行や芸能は市民社会の埒外にあるものでした。特にお笑い芸は、差別や偏見や暴力など人々の負の感情を下敷きにした、多分に下劣でいかがわしいものでした。キッチュだったのです。それがテレビを通してお茶の間に浸透し、若者が憧れるほど市民権を得たのです。ただ、いくら市民権を得ても、彼らがチンピラまがいのダークな存在であることには変わりがないのです。しかも、お笑いだとダークサイドな部分が許容されたのも事実です。そう考えれば、彼らの芸が#MeToo運動の時代とまったくそぐわないのは理の当然で、そのひずみが今回の松本のスキャンダルで露呈したとも言えるでしょう。

一方で、被害を訴えた女性に対する松本ファンのバッシングは、文字通りセカンドレイプと言えるような目に余るものがあります。多分にネトウヨ的な傾向のある人間が多いように思いますが、その根底にあるのは「ふしだらな女」の論理です。それは性被害だけでなく、芸能人の不倫などでも登場する差別的な論理です。

そのことについて、既に一部のメディアでも取り上げられていますが、倉田真由美氏がXで秀逸な投稿をしていましたので、(引用が多くなりますが)紹介します。

なお、Xは、字数制限が緩和されてから字数の多い投稿の場合、タイムラインでは一部しか表示されなくなりましたので、Xの埋め込みではなく投稿した文章を引用させていただきます。

倉田真由美
@くらたまごはん

「高級ホテルでの有名人が来る飲み会にノコノコ行く女が愚か。何かあって当たり前」こんな考えの人が多くてとても残念だ。「名もない庶民は何されても仕方ない」という発想に他ならない。人間を、対等に見ない人の発想。呼ばれた本人も有名な女優だったとしたらどうか。いきなり乱交パーティーのような目に遭う可能性が俄然低くなるだろうし、「ノコノコ行くな」という人もいないだろう。理由は簡単、「対等な人間同士」という図が出来上がるからだ。本来、相手が誰であっても人間同士は対等だ。その当たり前の感覚を忘れ選民意識を内面化してしまっている人たちの多さに愕然とする。


「対等な、等しい重さの人権を持った人間同士」って、金銭の授受とか権力のあるなしとか関係ないんですよ。「高級レストランでご馳走してもらう側、奢る側」がいるとして、この二人の人権の重さは等しいの。対等なんです。この辺りが腑に落ちていない人、多いなあ。人権意識の問題なんだけど。奢ってもらったんだからそれに代わる何かを差し出せ。って、それを奢った人が個人的に奢った相手に言うのはいいけど(それがどう思われるかは置いといて)、社会がそれを認めたらおかしいでしょ。


これは全世界共通なんだが、「尻軽(っぽい)女」に対して異常に厳しい「何かされても仕方ない」という地味に攻撃的であるらある考えに悩む人が少ない。動機はさておき世間の認識には「売春婦」に対する根強い差別感情がある事は否めない。 今、日本でいえばギャラ飲み女子とかパパ活女子とかがそうか。有名人の飲み会に行く女子もそうだろう。 しかし、彼女たちも一般の変わらない人権を持った人間なんだよ。何かがあった時、有名女優が告発する場合とギャラ飲み女子が告発する場合で印象を変えてしまう場合がある、根本に差別感情があるからに他ない。


「満員電車に乗った時、スカート履かない方がいい」 ↑これ、家族が娘に言うのはいい。でも社会のメッセージとしてはおかしいでしょ。 こんなポスター駅のホームに貼られてたら、やばい国です。個人的に身内に「危なそうな飲み会に参加してて痛い目、それは女も悪い」というのは勝手にしたらいいけど、社会が言うのは違う。


「私は◯◯(加害者かもしれない人)を信じます」って、

「被害を訴えている人を信じません」「被害を訴えている人が嘘を吐いていると思います」

と言ってるのと同じなんだけど、その言葉の重さ分かっているんだろうか。


どんな事件でもそうなんだけど、加害者と被害者がいる場合、この二者は鏡像対称性を持つ右と左、のような存在ではないんです。

だから「同じ事は逆でもいえますよね!」っていう人多いんだけど、いえないんですよ…まったく別物だから。


口幅ったい言い方をすれば、「天皇制は一木一草に宿る」という言葉がありますが、〈権力〉もまた私たちの日常の隅々に存在しています。倉田真由美氏が言うように、人と人との関係においても〈権力〉が介在し、その関係性を規定するのです。

本来は対等な関係なのに、属性が付与されることによって人と人との間は対等な関係ではなくなるのです。そういった力学によって私たちの社会や日常が仮構されているのです。だからこそ、〈人権〉という概念が必要なのです。

ワイドショーは倉田真由美氏のような人物をコメンテーターに起用すべきだと思いますが、そもそも吉本の株主であるテレビ局は松本人志のスキャンダルを正面から扱うことすら避けているのですから、それはないものねだりにすぎないのでしょう。
2024.01.11 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲