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(写真AC)



■「最期は本名で迎えたい」


1月25日、鎌倉の病院に末期の胃がんで入院していた男性が、突然、病院の関係者に「自分は指名手配されている桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と打ち明けたことから、男性が「東アジア反日武装戦線」のメンバーで49年間にわたって逃亡している「桐島聡」の可能性が高いとして、大きなニュースになったのでした。

ただ、私は、このニュースを見て、何だか切なくいたたまれないような気持になりました。

「最期は本名で迎えたい」という言葉について、テレビのコメンテーターたちは「自己顕示欲だ」とか「勝利宣言だ」とか「卑怯だ」とかトンチンカンなことばかり言っていますが、私は、そこには偽りの逃亡生活を清算したいという彼なりの気持があるような気がします。

それに、「桐島聡」に関しては、報道の中で誤解が生まれているのです。

私は、以前、「東アジア反日武装戦線」の「大地の牙」グループの事実上のリーダーとされ、逮捕時に青酸カリで自決した斎藤和氏の”追悼集”『でもわたしにはいくさが待っている』(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃と闘う支援連絡会議編・風塵社)を読んだことがありますが、そこには、平岡正明や朝倉喬司や松田政男など著名な人たちが斎藤氏の人となりを悼んで文章を寄せていました。

斎藤和氏は、谷川雁が専務を務めていた「株式会社テック」(TEC=東京イングリッシュセンター)の労働争議に関わったりと、70年前後のアナーキズム運動では名の知られた人物だったのですが、一方、「桐島聡」は、「東アジア反日武装戦線」の中では逮捕歴のない唯一のメンバーだったそうで、学生運動も目立った活動歴はなかったのではないかと言われています。

「桐島聡」の手配写真は巷では有名だったそうですが、私は手配書なんて関心がなかったので、メディアに出た彼の写真を見ても、「誰?」という感じでした。彼は、メディアが騒ぐほどの”大物”だったとはとても思えません。ただ、権力の憎悪を浴び、というか、権力の面子のために”大物”扱いされただけなのではないかと思います。

「桐島聡」は、「さそり」グループに属していたのですが、斎藤和氏の内縁の妻だった「大地の牙」グループの浴田由紀子(逮捕拘留中に超法規処置で”釈放”、日本赤軍に合流したあと再び逮捕され現在服役中)の公判の証人尋問で、「狼」グループの大道寺将司(死刑囚として収監中に病死)は、「さそり」グループはリーダーの黒川芳正(服役中)以外、メンバーを知らないと証言していました。

ちなみに、1974年8月30日に発生し、8名の死者を出した三菱重工本社の爆破事件を実行したのは、大道寺将司がいた「狼」グループです。

■印象操作


「東アジア反日武装戦線」というのは、同じ名称を使っていても、一つの統一された組織ではなく、アナーキズムのグループの”集合体”にすぎないのです。それが新左翼のセクトとは根本的に違うところです。

 現在、男が本当に桐島容疑者なのかについては分かっていませんが、連続企業爆破事件の被害に遭った当時ビルの近くにいた三菱重工の元社員に取材をしたところ、「50年近く経って見つかったかもしれないという話を聞いてびっくりした」と話していました。

 世間を震撼させた連続爆破事件の容疑者が50年越しの逮捕となるのか。警視庁の捜査の結果が待たれます。

ANN news 
「自分が桐島」病院関係者に伝える 本人名乗る男を病院で確保


こんなニュースを見ると、「桐島聡」があたかも三菱重工爆破事件に関与したかのようなイメージを持ちますが、それは印象操作にすぎません。

「桐島聡」の手配容疑は、1975年4月18日の東京の銀座の韓国産業経済研究所のドアに時限装置付きの爆弾を仕掛けて爆発させ、ドアなどを破損させた事件にすぎないのです。

その他に「桐島聡」が関与したのではないかと言われているのは、下記の事件です(ただし、手配容疑にはなっていません)。

①鹿島建設爆破事件(1974年12月23日。死傷者なし)
②間組本社ビル(9階・6階)及び大宮工場同時爆破事件(1975年2月28日。桐島が共謀した本社ビル9階爆破で1人が加療4か月の骨折・熱傷等、桐島が実行を担当した本社ビル6階では死傷者なし)
③間組江戸川作業所爆破事件(1975年4月27日。1人が加療約1年3か月を要する頭部外傷等)
④間組京成江戸川橋工事現場爆破事件(1975年5月4日。死傷者なし)
(Wikipediaより)

三菱重工爆破事件の被害が予想以上に大きかったので衝撃を受けたことが、上記の大道寺将司の証言でもあきからになっていますが、それ以後、人的被害を極力避けるために”抑制”していたと言われているのです。

■末端の戦士


当初の報道では、海外に逃亡していたように伝えられていましたが、どうやらそうではなかったみたいです。

 捜査関係者によると、男は入院前、同県藤沢市の工務店に数十年間、勤務していた。「内田洋」の名前を使っていたといい、工務店側は桐島容疑者である可能性を認識していなかったとみられる。

 男は末期の胃がんで、同僚に付き添われて今月、同県鎌倉市の病院に入院した。健康保険証などの身分証は所持しておらず、当初、病院に対しても名前を「内田」としていたとみられるが、「最期は本名で迎えたい」と話して桐島聡と名乗り、25日から公安部が事情を聴いている。

Yahoo!ニュース
時事通信
「内田洋」で数十年住み込み 偽名か、桐島容疑者名乗る男 連続企業爆破で指名手配・警視庁


朝日の記事には、「桐島聡」が住んでいた二階建ての家の写真が掲載されていましたが、ボロボロの廃屋のような建物でした。記事では、一階は物置のようになっており、二階で生活していたみたいだという証言がありました。オウム真理教の菊地直子が逃亡中に住んでいたのも、赤錆びたトタン壁の小屋みたいな家でしたが、何だか似ているような気がしました。

朝日新聞デジタル
呼び名「うっちゃん」、冗談も 60年代ロックで踊る 桐島名乗る男

渡辺直子の場合、偽名で健康保険証を取得していたのですが、「桐島聡」は、住民票も健康保険証もない中で、肉体労働に従事していたのです。

近所の人の話では、病気のせいもあったのでしょうが、ガリガリに痩せて80歳くらいに見えたそうです。また、家の中に入った人の話では、「本が足元に積み上がっていた」そうです。逃亡生活の中でも本を読むことだけは忘れなかったのでしょう。

現在、彼は重篤な状態だそうですが、彼が本名で最期を迎えても、斎藤和氏のような”追悼集”が出ることはないでしょう。一生を棒に振ったという言い方は彼に失礼かもしれませんが、何だか最初から末端の戦士として忘れられていく存在にすぎなったように思います。

逃亡を支援していた人間がいたかどうか調べると警察は言っていますが、支援していた人間がいたら、逆に救われる気がします。

その生活から見ると、とても支援者がいたようには思えませんが、誰からも支援されずに孤独の中で49年の過酷な逃亡生活を送り、今、人生の幕を閉じようとしているのだとしたら、あまりにも痛ましく、よけい切なくていたたまれない気持になるのでした。

■追記


その後の報道によれば、故郷の親族は「桐島聡」の遺体の受け取りを拒否しているそうです。地元の同級生たちも、「桐島聡」に対して、「迷惑を受けた」としてみんな突き放したような言い方をするのでした。メディアやネットも含めてそうですが、どうしてそこまで冷酷になれるのかと思います。国家が人でなしと言うから、人でなしなのか(国家が英雄だと言えば、英雄なのか)。

彼の人となりを一番よく知っているのは故郷の人たちでしょう。それもすべて無に帰してしまうのでしょうか。

数十年過ごした街では、彼は「うっちー」とか「うーやん」と呼ばれ”愛されキャラ”で溶け込んでいたそうです。それで、彼の死を聞いて涙が出たという人もいたそうです。そんな話を聞くとホッとした気持になります。

ウソかホントか、横浜までコンサートを聴きに行っていたとか、バンドを組んでいたという話もありますが、好きな音楽と読書を忘れることはなかったのでしょう。

「桐島聡」は、死の間際の聴取で、手配容疑の韓国産業経済研究所爆破は無関係だと否定していたという報道がありました。彼は、爆弾製造と見張り役が主な任務だったのではないかという話もあります。

「主義者」の仁義に反するのかもしれませんが、獄中にいるリーダーの黒川芳正氏や既に出所しているU氏は、グループの中で「桐島聡」がどんな存在だったのかをあきらかにすべきでしょう。


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