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(写真AC)



■志葉玲氏の投稿


ジャーナリストの志葉玲氏が、みずからのX(旧ツイッター)に、サッカーの伊東純也の性加害報道に関して、「所詮、玉蹴り遊びだろ?女性の尊厳の方が大切じゃん」」と投稿したことで、サッカーファンの反発を買い炎上しているそうです。

中日スポーツ
日本代表・伊東純也の性加害報道に「所詮、玉蹴り遊びだろ?女性の尊厳の方が大切じゃん」戦場ジャーナリストの投稿が炎上

もっとも、コタツ記事の権化であるスポーツ新聞にとっては恰好のニュースで、炎上したというより炎上させている側面もあるように思います。

志葉玲氏の投稿は、次のようなものです。 
 
志葉氏は、別に「スポーツ至上主義や女性蔑視にウンザリなので、あえて炎上するようなことを言ってみた」と投稿していましたので、一石を投じる意図もあって挑発したのでしょう。 

私は、サッカーファンというほどではありませんが、それでも代表戦は欠かさずテレビで観る程度の俄かファンではあります。私も志葉玲氏と同じように、サッカーは「所詮玉蹴り遊び」であり、だからこそ、娯楽としてのサッカー観戦が成り立つのだと思っています。しかし、それが度を超すと、「愛国」や民族排外主義を持ち出したりするフーリガンになり、さらにエスカレートするとウクライナのアゾフ連隊みたいになるのです。

反ヘイトのカウンター運動を行い、人権問題にことのほか敏感なはずの某氏は、一方で熱烈なサッカーファンでもあるのですが、彼は今回の報道に対して、アジアカップの最中に報道することに意図(悪意)を感じるというようなことを、みずからのXに投稿していました。だから、日本の士気が下がってイランに負けたとでも言いたいのでしょうか。スポーツ至上主義どころか、考えようによっては陰謀論に与するようなもの言いで、私は開いた口が塞がりませんでした。このように、本末転倒した、厚顔無恥なバカバカしい言説が何の臆面もなく飛び交っているのでした。

■二周も三周も遅れた日本


松本人志の性加害問題を発端に(と言うか、ホントは伊藤詩織さんの告発やジャニーズ問題から始まったと言ってもいいように思いますが)、日本でもやっと重い口を開いた女性たちによって、性加害の告発が相次いでいますが、しかし、それに対する社会の反応は、志葉氏が言うようにお粗末きわまりないものです。

世界的な#MeToo運動の流れから言えば、日本は二周も三周も遅れているのです。告発した女性を誹謗中傷する人間に限って、一方で、「ニッポン凄い!」を自演乙したりするのですが、「ニッポン凄い!」どころか、#MeToo運動に対する低レベルの無理解は、今の時代においては「私、アホです」「畜生です」と言っているに等しいようなものです。それがまるでわかってないのです。しかも、Yahoo!のトップページを見ると一目瞭然ですが、その低レベルの無理解を、コタツ記事の権化のようなスポーツ新聞や週刊誌やネットメディアなどが炎上目的で煽っているのですから、お話にならないとはこのことでしょう。

松本人志に関しても、「遊びがへた」(山田邦子)とか「女の扱いが雑」(東国原英夫)とか、そんなレベルでしかとらえることができないのです。中には、女性に渡したお金がショボすぎるというコメントさえありました。それが日本のメディアの現実なのです。

週刊誌は政治党派や宗教団体の機関誌ではないのですから、売らんかな主義であるのは当然です。女性たちがそんな週刊誌にチクるのは、女性たちの#MeTooの告発を取り上げるのが一部の週刊誌しかないからです。そこには、日本のメディアのお寒い現実が反映されているのです。でも、女性たちに悪罵を浴びせる周回遅れの「畜生」たちは、警察には訴えずに週刊誌にチクったのでけしからん、金目当てだろうと言うのです。

■ホモソーシャルの世界とミソジニーの構造


斎藤幸平氏が言うように、芸人やスポーツの世界は典型的なホモソーシャルの世界なので、今回たまたま表に出ただけで、この社会には女性に対する性加害は当たり前のようにあり、その陰では、「軽率」「尻軽女」などと陰口を叩かれることを恐れて、みずからを責めながら泣き寝入りしている女性たちもごまんといるに違いありません。

日本は男性優位で〈権力〉や〈権威〉が幅をきかす社会なので、性加害が多いのは当然と言えば当然かもしれません。日本が「安全な国」だというのは、「ニッポン凄い!」の幻想にすぎないのです。それどころか、学校の教師や警察官や宗教家と同じように、「ニッポン凄い!」などと宣っている張本人が加害者だったりするのです。

前も言いましたが、性加害に関しては、この国では右も左も上も下も関係ないのです。安全な場所や安全な人間であるはずが、全然安全ではなかったりするのです。むしろ、「安全な国」の幻想(神話)がある分、危険度が高いとも言えるのです。

ホモソーシャルが持つミソジニーの構造について、上野千鶴子氏は、前に紹介した『女ぎらい - ニッポンのミソゾニー』で、次のように書いていました。

 男は女とのつい関係のなかで「男になる」のだ、と思っていた。まちがいだった。男は男の集団に同一化することをつうじて「男になる」。
 男を「男にする」のは、他の男たちであり、男が「男になった」ことを承認するのも、他の男たちである。女はせいぜい、男が「男になる」ための手段、または「男になった」証明として与えられたりついてきたりする報酬にすぎない。
 これに対して、女を「女にする」のは男であり、「女になった」ことを証明するのも男である。


 ホモソーシャルな集団とは、このように「性的主体」であることを承認しあった男性同士の集団をさす。女とはこの集団から排除された者たち、男に欲望され、帰属し、従属するためだけに存在する者たちに与えられた名称である。それなら、ホモソーシャルな集団のメンバーが、女を自分たちより劣等視するのは当然であろう。


熱狂的なサッカーファンが、(中には名誉男性のような女性のメンバーがいるにしても)典型的なホモソーシャルな集団であることは論を俟たないでしょう。志葉玲氏の投稿に対する彼らの反発には、サッカーを愚弄したという感情もさることながら、ホモソーシャル特有のミソジニーがあられもなく露呈しているように思います。もちろん、吉本芸人の先輩後輩の関係も然りです。


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