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(大休場尾根)



■「自民不倫」と検索


自民党の広瀬めぐみ参院議員の「不倫」のニュースが、メディアをかけめぐっています。ジャニーズ問題ではあれほどジャニー喜多川の性加害を見て見ぬふりし、松本人志の性加害疑惑では、松本本人や吉本興行に忖度した「真実は藪の中」「松本は売らんかな主義のスケープゴート」みたいな記事を垂れ流しているメディアが、まるで手のひらを返したみたいに、ここぞとばかりに”広瀬叩き”に狂奔しているのでした。

因みに、Chromeで「自民不倫」と検索すると、1ページ目に次のようなタイトルが表示されました。

TBS NEWS DIG
自民・広瀬議員不倫認め謝罪 議員辞職や離党は否定 “赤ベンツ不倫”週刊誌報道

FNNプライムオンライン
「夫を裏切り、子供たちにつらい思いをさせた」“不倫報道”認め謝罪した自民・広瀬めぐみ参院議員 涙にじませ…7分間で6回頭下げる

AMEBA TIMES
涙の謝罪…自民党・広瀬めぐみ議員が不倫報道を認める「夫と家族を大切に、皆様の信頼を回復できるようなお一層の努力を」

毎日新聞
自民・広瀬めぐみ氏、週刊誌で不倫疑惑報道 地元岩手の関係者衝撃

Yahoo!ニュース
自民党・広瀬めぐみ議員の赤ベンツ不倫、相手はカナダ人有名サックス奏者 直撃に議員は「しょうがない、もう撮られてるんだから」(ディリー新潮)

スポーツ報知
広瀬めぐみ参院議員“赤ベンツ不倫”涙で謝罪「関係は事実」「一生かけ夫と家族に償ってまいります」議員辞職は否定

Yahoo!ニュース
大下容子アナ 不倫、裏金…自民・エッフェル軍団に「なぜフランス研修の報告書を公表しないのでしょうか」(スポニチ)

Yahoo!ニュース
「恥の上塗り」不倫謝罪の広瀬めぐみ氏に自民党内でも厳しい声 裏金問題にラブホ不倫重なる(日刊スポーツ )

■あえて言いたい


何だか「不倫」も性加害も十把一絡げにされている感じですが、「不倫」と性加害は根本的に違うものです。その基本的な認識がメチャクチャなのです。

私はあえて言いたいのですが、「不倫」がそんなに悪いことなのでしょうか。まるで重罪を犯したみたいに袋叩きにされていますが、じゃあ、広瀬議員に石を投げる人間たちは、今まで「不倫」をしたことがないのか。あるいは、したいと思ったことはないのか。そう問いたいのです。

性愛に既婚も未婚もないでしょう。誰だっていくつになっても、恋する気持はあるはずです。叶わぬ恋ならなおさらです。身分制度がなくなった現在、身を焦がすような恋と言ったら、もう「不倫」しかないのではないかと思うくらいです。人様の恋路に石を投げるなど最低の人間のすることです。

野党やその支持者の中には、広瀬議員が「エッフェル姉さん」と呼ばれ、自民党女性局のフランス研修旅行の参加者であったことと結びつけたがるむきがありますが、そんなのはまったく関係ない話です。まして、議員辞職を求めるなど常軌を逸しているとしか思えません。リベラルが聞いて呆れます。

「不倫」に国会議員であるかどうかなんて関係ないでしょう。もちろん、政治的イデオロギーも関係ありません。広瀬議員はたしかに公人ですが、「裏金」問題と違って「不倫」はあくまでプライベートな話(!)です。個人の性愛の話なのです。むしろ、俗情と結託してプライベートな空間に〈権力〉を呼び込む、”良識”を装ったリベラルな〈政治〉こそ逆に怖いなと思います。

”広瀬叩き”でも伝家の宝刀のように振りかざされているのが、「ふしだらな女」の論理です。もちろん、夫婦別姓に反対し「伝統的な家族制度」の堅持を訴えている保守政治家として、言っていることとやっていることが矛盾しているのはたしかで、そういった意味では自業自得という見方もできるでしょう。

ただ、これが男性議員だったらここまで叩かれるだろうかという気がします。女性議員だから、よけい「ふしだらな女」だとして、バッシングの声が大きくなっているように思います。

たとえば、松本人志もれっきとした妻帯者ですが、彼に関する報道の中には、「不倫」の「ふ」の字も出て来ません。問われているのは合意があったかなかったかだけです。擁護する人間たちは合意があったと言い、指弾する人間たちはなかったと言うだけです。いつの間にか、合意があったなら松本の行為は許されるのかのような話にすり替えられているのでした。松本側が文春の第一弾の記事だけを提訴しているのも、そういった狙いがあるような気がします。多くのメディアも松本の意図に加担しているのですが、今や世界的な流れになりつつある#MeToo運動の理念を考えるとき、こういった日本の芸能界とメディアの持ちつ持たれつの関係に対して、私はおぞましささえ覚えるのでした。

広瀬議員と松本人志を比べてもわかるように、そこに示されているのは文字通りの「性の二重基準」です。性においても(その倫理の兼ね合いにおいても)、男と女は最初から対等ではないのです。上野千鶴子はそれを「ブルジョア性道徳」と呼んだのでした。

民法第770条は、次のように書かれています。

第七百七十条
夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。 一 配偶者に不貞な行為があったとき。 二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。 三 配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。


たしかに、上記のように、民法においては「不倫」=「不貞な行為」は慰謝料や離婚を請求できると定められていますが、しかし、それはあくまで夫婦間(あるいは「不倫」相手を含めた三者間)で処理すべききわめてプライベーな問題として、そう定められているにすぎません。恋愛に良いも悪いもないのです。

「不倫」も、立派なとは言わないけど、大人の恋愛のひとつで、他人がとやかく言う筋合いのものではないでしょう。夫婦関係のリスクはあるにせよ、「恋愛の自由」の範疇にあるものです。

一方で、テレビにコメンテーターとして出ているようなタレント弁護士たちが、上記の民法の条項を盾に、「不倫」をあたかも「悪」であるかのように言い募り、バッシングするのにひと役買っているのはたしかでしょう。広瀬議員も弁護士だそうですが、あのテレビに出ているお便所コオロギのような弁護士たちは、何とかならないのかといつも思います。

「不倫上等」の伊藤野枝が、大杉栄をめぐる三角関係(実際は四角関係)で、神近市子に刺された「日陰茶屋事件」が起きたのが今から100年以上前の1916年(大正5年)ですが、この100年間で「不倫」は当たり前のこととして定着したけれど(資本主義の発達とそれに伴う労働形態の変遷によって、性の自由も拡張されたのですが)、「伝統的家族制度」の残滓である「ブルジョア性道徳」は相も変わらず幅をきかせ、私たちの生活にというか、「一生かけ夫と家族に償ってまいります」という広瀬議員の発言に見られるように、とりわけ女性の人生に理不尽な圧力を加えているのです。

ブルジョア社会の守護神である弁護士たちは、これ見よがしに「不倫」の代償は高くつくなんて言っていますが、もちろん、「不倫」という言葉の前に「女性の」という言葉が伏せられているのは言うまでもありません。そうやって「ブルジョア性道徳」を前提に、性における私的な自由まで脅迫して制限するような社会が、「良い社会」だとはとても思えないのです。


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