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「牡丹のある家」は、1934年(昭和9年)に書かれた短編です。

高等小学校を卒業した主人公のこぎくは、大阪の大きな商店のようなところで、寄宿舎(会社の寮)に入り店員として働いていました。

しかし、肺病(肺結核)になったので、静養のため、兵庫県と岡山県の県境近くの(多分)山陽本線が走っている山間の村に帰ってきたのでした。

実家は、近くの山で桃と梨を栽培している零細な自作農の農家です。父親が亡くなったあと、長兄が家業の果樹栽培を継いでいます。家族は、母親と祖父、兄が2人に妹が2人、そしてこぎくの7人でした。しかし、現在、家にいるのは、母親の小房と長兄の市次とその妻の信江と79歳の祖父と、まだ学校にも上がってない一番下の妹きぬ子の5人です。

こぎくが初めて喀血したのは、勤めて2年が経ったときでした。高等小学校は、今で言えば中学2年までですので、喀血したのは満年齢では16歳か17歳の頃です。

お店なんて、肺病の巣でっせ、みんな言ってはるわ、などと仲間同士で語り、友達の二人三人の死を送りながら、遂に自分に廻ってくるのをどうしようもなく、自然に胸を折るように背中のうずくのをじっと、目を強く据えて見つめるばかりであった。こういう娘にとって、る朝起き抜けに、咳き込む拍子にぶくぶくとあぶくといっしょに吐き出されたまっ赤な血は、生活に変化をもたらすやけくそな希望にさえ見えた。病的に熱した目をきらきらと光らせて、縁先の土にぶつぶつとあぶくの消えてゆく自分の血を見つめていた。それからまっさおになり、床についた。


妹のきぬ子と一緒に山で桃の虫取り作業をしている祖父と長兄のもとに、昼食の弁当を届けに行った際、突然、山の下から火の手が上がったのでした。下からせまって来る火を半纏で叩き消している長兄に、「村に言うて来い」と命じられて、妹のきぬ子と山道を駆け下りていく途中で、こぎくは再び喀血に襲われるのでした。

そのとき、こぎくは、山道を外れて熊笹の中に身をよこたえ、「ぶるぶるとふるえる指先で、唇をそっと押え」、山にやって来る村人の騒ぎを耳にしながら、「怒涛どとうの中で身を浮かせているような、捨て切った気で、大きな悲劇を待つ気持」になったのでした。

こぎくの家には、亡くなった父親が植えた大きな牡丹の木があり、それが一家の自慢であり拠り所でもありました。牡丹の木は、一家のささやかでつつましやかな幸せの思い出とともにあったのでした。しかし、父親が亡くなったあと、家が傾いていくのを家族は自覚していました。零細な自作農が困窮に瀕するようになるのはわけがないのです。一家に次々と難題が持ち上がり、自慢の牡丹の木も売らなければならないかもしれないと思うようになっていました。

人生に絶望したこぎくは、深夜ひそかにかき餅に鼠取りの薬を張り付けて自死を試みるものの、寸前に母親に発見され未遂に終わります。

やがて体調も回復したこぎくは、再び大阪に戻って行くことを決心します。そして、黙って家を出て行くのでした。

 もう九月に入り、じりじりと暑かった。昼過ぎの停車場は風を通しながらも、かあっと照りつけられてうだっていた。
 駅のへちま棚の下で遊んでいたきぬ子は、這入って来た上がりの汽車を見ようとして棚の方へ飛んで行ったが、向かい側のホームにちらとこぎくの姿をみとめた。柵の上に足をかけてよじ登り、窓の一つ一つを見ようとしたが、姉の顔はもう見えなかった。
 こぎくは小さな風呂敷包を膝の上にのせ、雨傘と日傘の二本の傘をいっしょに傍らにおいてじっと窓の外を見ていた。
 どうしても口にへ入れられなかったかき餅の、ひどい臭気と、薬を買いに行った時の、じっと握りしめたてのひらの中で印形いんぎょうがじっとり汗ばんでいたのを、いつまでも忘れなかった。


このブログでも何度も書いていますが、私も東京の予備校に通っていたとき、持病が再発して九州に帰り、1年近くの入院生活を送ったあと、山間の町にある実家に戻ってしばらく静養した経験があります。そのときの絶望感を思い出すと、「牡丹のある家」のこぎくの心情は痛いほどよくわかるのでした。

入院中、毎日のように病室に行って話をするほど仲のよかった女性の患者が、早朝、病院の裏山で首を吊って自殺するという出来事もありました。

裏山で縊死せし女のベットには 白きマリア像転がりており

以前にも紹介しましたが、これはそのときに詠んだ歌です。彼女は、敬虔なクリスチャンでした。

心が折れそうになるほどつらいけど、歯を食いしばって足を前に出す。ありきたりな言い方ですが、人生は山登りと似ています。「悲しみは人生の親戚」(大江健三郎)なのです。悲しみを哀しみと言い換えてもいいと思いますが、生きる哀しみというのは、たしかにあるのです。そういったナイーブな感性は、実利的に生きていくにはマイナスかもしれませんが、人としての優しさや温かさの裏返しでもあるのです。

佐多稲子の小説の主人公はよく泣くのですが、こぎくもよく泣いています。その涙が私たちの心を打つのでした。それが佐多稲子の小説の魅力であり、佐多稲子がプロレタリア文学のジャンルを越えて、多くの読者を獲得した理由でもあるのだと思います。


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2024.03.18 Mon l 本・文芸 l top ▲