
早朝、郵便局に行く途中、しばし橋の上から落ち葉がたゆたう川面を眺めながら、前日、学生時代の友人から届いた手紙のことを考えていました。
それは、同級生の女の子の訃報を知らせる手紙でした。癌だったそうです。
その手紙には、手術して一旦元気を取り戻したとき、一緒に上野の美術館に行って楽しいひとときをすごしたのがいい思い出です、と書いていました。
別の友人にその話をしたら、「運命だよ」と言ってました。冷たい言い方に聞こえますが、しかし、私達はもはやそんな言い方をするしかないのかもしれません。
死にたいやつは死なしておけ、俺はこれから朝飯だ
これは、昔、作家の吉行淳之介さんのエッセイの中で紹介されていた詩の一節です。作者の名前も詩の題名も覚えていないけど、このフレーズだけが何故か頭に残っている、と吉行さんは書いていました。
この作者の気持はすごくわかりますね。「運命だよ」と言った友人の気持も同じだったのではないでしょうか。
このところ、以前親しくしていた人の悲しい知らせがつづいています。いづれも鬼籍に入るにはまだ早すぎる年齢の人達ばかりです。
先日も仕事で親しくさせていただいた方が亡くなりました。
別に胸騒ぎがしたわけでもないのですが、ふと思いついて、その方の仕事先を訪ねたところ、事務の女性から「エッ、知らなかったんですか? 昨日、葬儀だったんですよ」と言われてびっくりしました。仕事を終えて職場を出た途端倒れて、そのまま還らぬ人となったのだそうです。
お宅に伺うと、奥さんから「連絡しなくてすいませんでした」と言われました。急に亡くなったので、住所録もどこに仕舞ってあるかわからなかったのだそうです。
その方からもらったメールが今も受信フォルダに残ったままです。そのメールを読み返すたびに悲しくもあるけれどなんだか不思議な気持になります。
「倶会一処」
人生は出会いと別れのくり返しと言いますが、これからも何度も何度もこの言葉を胸の内でくり返さなければならないのでしょうか。