昨日、帰宅したら留守電に九州の母親からメッセージが入っていました。
「大分の××××(氏名)と言います。ゆうべ、夢を見て、気になり電話しました。元気にしてますか?」
私は、それを聞きながら、胸が塞がれるような気持になりました。すぐに電話しようかと思いましたが、どうしても電話することができませんでした。電話して母親の声を聞くといっそう哀しくなると思ったからです。
そして、先日、日本経済新聞に載っていた作家の盛田隆二さんの「幼児のように泣く父」というエッセイを思い出しました。
80才を越えてボケの症状がひどくなってきたお父さんを介護老人施設に入居させることを決意し、施設に連れて行って、盛田さんが帰ろうとすると、お父さんが突然、幼児のように泣き出したのだそうです。
そのときの盛田さんの胸中は察してあまりあるものがあります。
人間は誰しも老いから逃れることはできません。でも、親の老いた姿はどうしてこんなに哀しいんだろうと思います。
10数年前、入院していた父親の容態が急変したという連絡をもらって九州に帰ったときのことでした。母親は既に父親に付添って毎日病院で寝泊りしていました。
容態が持ち直したので再び東京に戻る日、「じゃあ、ぼつぼつ帰るよ」と言って病室をあとにした私を母親は階段のところまで見送りに来ました。
「じゃあ、また」
そう言って階段を下り、途中の踊り場でふと階段の上を振り返ったときでした。母親が両手で顔を覆って泣いていたのです。
私は見てはいけないものを見たような気がして、急ぎ足で階段を下りて行きました。
「哀しみは人生の親戚」と言いますが、その言葉は私の中ではあのときの母親の姿と重なっています。
結局、人生というのは、最後は「哀しい」という言葉でしか表現できないものなのでしょうか。
「大分の××××(氏名)と言います。ゆうべ、夢を見て、気になり電話しました。元気にしてますか?」
私は、それを聞きながら、胸が塞がれるような気持になりました。すぐに電話しようかと思いましたが、どうしても電話することができませんでした。電話して母親の声を聞くといっそう哀しくなると思ったからです。
そして、先日、日本経済新聞に載っていた作家の盛田隆二さんの「幼児のように泣く父」というエッセイを思い出しました。
80才を越えてボケの症状がひどくなってきたお父さんを介護老人施設に入居させることを決意し、施設に連れて行って、盛田さんが帰ろうとすると、お父さんが突然、幼児のように泣き出したのだそうです。
そのときの盛田さんの胸中は察してあまりあるものがあります。
人間は誰しも老いから逃れることはできません。でも、親の老いた姿はどうしてこんなに哀しいんだろうと思います。
10数年前、入院していた父親の容態が急変したという連絡をもらって九州に帰ったときのことでした。母親は既に父親に付添って毎日病院で寝泊りしていました。
容態が持ち直したので再び東京に戻る日、「じゃあ、ぼつぼつ帰るよ」と言って病室をあとにした私を母親は階段のところまで見送りに来ました。
「じゃあ、また」
そう言って階段を下り、途中の踊り場でふと階段の上を振り返ったときでした。母親が両手で顔を覆って泣いていたのです。
私は見てはいけないものを見たような気がして、急ぎ足で階段を下りて行きました。
「哀しみは人生の親戚」と言いますが、その言葉は私の中ではあのときの母親の姿と重なっています。
結局、人生というのは、最後は「哀しい」という言葉でしか表現できないものなのでしょうか。