
下北沢に行った帰り、久しぶりに井の頭線の神泉で下車して渋谷駅まで歩きました。東電OL殺人事件がこの3月でまる10年を迎えたという記事を思い出したからです。
私にとってもこの事件は衝撃的でした。被害者は、慶応女子高から慶応大を出て東京電力に総合職で入社、東洋経済新報社が主宰する経済学賞(高橋亀吉賞)で佳作に選ばれるなど女流エコノミストとしても将来を嘱望されていたエリートOLだったのですが、事件後、被害者にもうひとつ別の顔があったことが明らかになるにつれ、マスコミの格好の餌食になったのは言うまでもありません。
『東電OL殺人事件』(新潮社)の著者の佐野眞一氏は、被害者のWさんの行動を「現代の堕落論」と呼んだのですが、まさに言い得て妙だなと思いました。
「東電OLの見た風景」というサイト(注:残念ながらサイトは閉鎖されました)で紹介されている風景は、もう20年来渋谷に通っている私にとってもおなじみの場所ばかりで、私もWさんと同じ風景を見ていたんだな、とあらためて思います。
それどころか、私は、夜の渋谷の街角で何度か彼女とすれ違ったことがあるのです。最初に見かけたのは、取引先の店でした。痩せこけて異様に派手な化粧をした中年女性がふらりとやって来て、50円のチョコレートをひとつだけ買って行ったのです。「誰?」と店の女の子に訊いたら、「売春婦よ」「いつもわけのわからない文句ばかり言って嫌な客」と言ってました。それがWさんだったのです。
精神科医の斉藤学氏は、彼女の行動を「自己処罰」という言葉を使って説明していましたが、人間というのは自己処罰しなければならないほど哀しい存在なのだろうか、と思いました。終電の井の頭線の車内では、傍目も気にせず菓子パンにかぶりついている彼女の姿が乗客達の間で有名だったそうですが、その姿を想像するに、なんだか切なさのようなものさえ覚えてなりません。
しかし、事件はこれだけにとどまりませんでした。事件後、Wさんと同年代の女性達を中心に、彼女の気持に共感できるという多くの声が佐野眞一氏の元に寄せられたのだそうです。佐野氏はそれを「東電OL症候群(シンドローム)」と名づけて、同名の本を著しました。
私の身近でも似たような話がありますが、「女性の時代」などと言っても現実にはさまざまな嗜癖に苦しみ、彼女と同じような危うい場所に立っている女性は意外と多いのではないでしょうか。
また、上記のサイトに詳しく書かれていますが、犯人として逮捕されたネパール国籍の青年が、無実を訴えて再審請求していることも忘れてはなりません。この事件はひとつの殺人事件としても奇怪な経緯を辿っているのです。
久しぶりに歩いた渋谷の裏街の風景は、不思議なほど変わってなくて、彼女が毎夜出没しさまざまなトラブルの舞台となった界隈の風景もそのまま残っていました。しかし、この迷路のような路地を行き交う人達の中で、彼女のことを覚えている人は果たしてどれだけいるのだろうか、と思いました。
※この記事は、Yahoo!トピックスに「関連情報」として紹介されました。