
有楽町のシャンテ シネ2で「長江哀歌」を観ました。「長江哀歌」は、昨年のベネチア国際映画祭金獅子賞グランプリに選ばれた中国映画です。
ストーリーはサイトを参考にしていただくとして、前評判とは裏腹に、私には退屈な映画でした。ジャ・ジャンクー監督はAll Aboutのインタビューで、「一番撮りたかったのは、社会的な事が個人に及ぼす影響ではなく、個人の自我の問題です。」と言ってましたが、この映画の二人の主人公(16年前に別れた妻子を探しに来た男と出稼ぎに行ったまま2年間音信普通の夫を探しに来た女)が置かれた絶望的な状況のその背景には、中国社会における”絶対的な矛盾”とも言うべき「ひずみ」が伏在していることはたしかなのではないでしょうか。
それは、言うまでもなく「農村戸籍」と「都市戸籍」の問題です。中国には二つの戸籍が存在し、国民は生まれながらに生涯区別されるシステムになっているのです。特に、人口の70%近くを占めると言われる「農村戸籍」の人間は二等公民(国民)とも言われ、移住の自由もなく従事する職業も3Kのような仕事に限定され、住宅や医療や年金等の社会保障からも除外されているのです。「農村戸籍」から「都市戸籍」に変更するには、たとえば大学進学率2%の中国で大学に進学するとかきびしい条件があり、一般の農民が戸籍を変更することなどほとんど不可能に近いのです。これが社会主義国家中国の現実なのです。
小平は改革・開放路線を推進するにあたって、「先に豊かになれる者から豊かになれ」というあの有名な「先富論」を唱えたわけですが、この戸籍制度を前提にする限り、人口の2割が富の8割を占めるという、社会主義国家にあるまじきとんでもない格差社会を生み出したのは当然でしょう。
折りしも新聞各紙は北京五輪開催まであと1年となった今月、中国の現状を特集する記事を掲載していましたが、中でも、北京五輪のメーンスタジアムである国家体育場の建設に従事する「農民工」、つまり、「農村戸籍」の出稼ぎ農民達の姿をルポしている朝日新聞の記事が目を引きました。
国家体育場の建設現場では4000人の「農民工」が働いており、朝から12時間休みなしに働いて月収は約1万4460円だそうです。プレハブ3階建ての宿舎は共同トイレの強烈な悪臭が漂い、風呂もなく洗面器の水で体や服を洗う毎日。その一方で、1億円近くのマンションが即日完売し、最高48万円もするブランデーが置かれた建設現場周辺のナイトクラブには、連日、共産党や政府・軍・警察の黒塗り公用車が乗り付けているのだとか。
映画では主人公の二人はそれぞれ炭鉱夫と看護婦という設定でしたが、しかし、二人とも市井の人間(一般的な労働者)にしてはやけに理知的に描かれているように思いました。中でも音信不通の夫を探しに来たシェン・ホンに至っては、演じる女優さん自身はすごく魅力的な人でしたが、この映画の中ではまるでプチブルのインテリ婦人のような哀感さえ漂っているのです。
「長江哀歌(エレジー)」という日本語の題名は秀逸だと思いますが、まさにそうやって情緒に流れることで、彼らが置かれた絶望的な状況とその背景にある中国社会の「ひずみ」に対する想像力がそがれているような気がしてなりませんでした。また、それがこの映画をひどく冗長なものにしているように思いました。
途中、古いビルがロケットのように飛んでいく場面があり、それは世界で何があっても動じないというメタファのようですが、監督の発言同様、あまりに陳腐で興ざめするしかありませんでした。
まわりを見ると、欠伸をしたりうたた寝をしている観客が目に付きましたが、残念ながら私にはそれは正直な反応のように思いました。
ちなみに、ジャ・ジャンクー監督の次回作の主役に北野武が起用されるという噂があるようですね。そういえば、この映画の”提供(配給)”のクレジットの中にもオフィス北野の名がありましたが、これは偶然なのでしょうか。