
私はiPodではなくウォークマンを愛用していますが、最近はもっぱら宇多田ヒカルの曲を入れて出かけています。
彼女の曲はとにかく「カッコいい」のです。最新曲の「Beatiful World」も期待を裏切らずいい曲でした。彼女の趣味はテトリスと「文学」で、将来の夢も「作家デビュー」だそうですが(個人的には、もうこれ以上芸能人が小説を書いたり映画を撮ったりするのはやめてもらいたいけど‥‥)、たしかに斬新ですぐれた言語感覚の持ち主だと実感させられます。
この「Beatiful World」は、映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版・序」の主題歌として作られたのですが、たとえば、同じようにテレビ番組『世界ウルルン滞在記』の主題歌として書き下ろされた中島みゆきの最新シングル「一期一会」と比べると、宇多田ヒカルの斬新さがよくわかるのではないでしょうか。別に「縁(えにし)」なんていう言葉を使っているからではありませんが、宇多田ヒカルに比べると中島みゆきがひどく平板に見えて仕方ありません。
ラップ風の言葉遊びも含めて若者言葉で描かれる宇多田ヒカルの世界には、如何にも現代の気分が横溢しているように思います。それは、あらゆる価値や規範が相対化した世界でとりとめもなく浮遊する”私”の感覚とでも言えばいいのか。つまり、生き方のお手本や指針なんてもはやどこにもないということです。まして、インターネットによって、個人が直接世界と向き合わねばならなくなったこの時代は、とりわけ個の論理が希薄な日本人にとってはしんどい時代だと言えるのかもしれません。
誠実であろうとすればするほど、世界に晒された”私”が如何に薄っぺらで頼りないものであるかを痛感させられ、一方で、気鋭の社会学者・鈴木謙介氏が『ウェブ社会の思想ー<偏在する私>をどう生きるか』(NHKブックス)で指摘しているように、ひとり歩きする個人情報によってとどめもなく増殖する自己イメージを抱えたまま立ちすくむしかないような時代。宇多田ヒカルはこんな時代をナイーブな感性で切り取り、いつも「私はどこ?」と自問しているような気がします。そして、それこそが宇多田ヒカルの才能たる所以なのではないでしょうか。
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