
夕方、ほしい本があったので伊勢佐木町の有隣堂本店に行きました。途中、「馬車道」で下車して伊勢佐木町まで歩いて行きました。
横浜駅周辺は渋谷や新宿などと変わらないくらい混雑していますが、関内あたりになると人も少なく、ビルの灯りに照らし出された黄金色の銀杏並木の下を歩いていたら、しばし感傷的な気分になりました。
昔、馬車道に有隣堂の文具館があったのですが、仕事で通っていた頃のことを思い出しました。生香園も「あそこは美味しくて有名なんだよ」と地元の人から教えてもらったことを覚えています。ただ、今のように周富輝さんの写真は表に出してなかったような‥‥(笑)。
またあるとき、馬車道の舗道のベンチに、真っ白な化粧をしてまばゆいばかりの派手な衣装を着た老女が所在なげに座っているのに遭遇したことがありました。のちに彼女が伝説の娼婦・ヨコハマメリーであることを知りました。(彼女については昨年ドキュメンタリー映画が公開されました)

馬車道を歩きながら、やっぱり、ひとりがいいな~、としみじみ思いました。どうしてみんな、孤独であることをそんなに呪詛するのでしょうか。「哀しみは人生の親戚」と言いますが、哀しみだけなく淋しさも切なさも、みんな人生の親戚のように思います。
サラリーマンの頃、お世話になった方の実家も伊勢佐木町だったことを思い出しました。華僑の方で、実家もやはり中華料理店をやっていると言ってました。だからなのか、六本木の中国飯店のスタッフとも顔見知りのようで、よく中国飯店でご馳走になりました。
あるとき、私が、「民族意識というのは国籍がどうかなんて関係なくて、要は、生きていく上での文化的な基盤がどこにあるかということでしょう。自分が中国人だと思えばそれだけで充分なんじゃないですか」と言ったら、「そうだよね~」と言ったきり黙ってしまったことがありました。
その後、私が会社を辞めたこともあって会う機会もなくなったのですが、数年前に六本木に行った折、ふと思い付いてその方の会社を訪ねたのです。すると、平日なのにカーテンが閉められ、しかも軒先のプランターが倒れたままで、明らかに尋常ではない様子でした。
近所の旧知の喫茶店に行って事情を訊くと、「4~5日くらい前から急に姿が見えなくなったけど、どうも倒産したみたいだよ」と言われました。帰ってすぐ自宅に電話したのですが、「只今お客様の都合により電話が通じません」という電話局のアナウンスが流れるばかりでした。
それ以来、音信不通になっていますが、もう会うことはないのかもしれません。実家は「甥っ子が跡を継いでやっている」と言ってましたが、実家の連絡先でも聞いたおけばよかったと思いました。
結局、目当ての本は有隣堂には置いてなくて、わさわざ出向いたのに徒労に終わりました。事前にネットで在庫を調べてから来るべきだったなと思いましたが、あとの祭りでした。