蒲田西口1

故・竹中労氏の『無頼の点鬼簿』(ちくま文庫)を読んでいたら、その中で、「駅前やくざは、もういない」と題して蒲田のことが書かれていました。氏も昭和30年代に蒲田に住んでいたのだそうです。そういえば、坂口安吾も蒲田に住んでいた時期がありますが、蒲田はかつては彼ら無頼派の硬骨漢達を惹きつけるような魅力のある街だったのでしょうか。

蒲田は東の錦糸町や新小岩などと雰囲気が似ている気がします。やはり、街の成立ちが似ているからでしょう。やたら消費者金融(サラ金)の看板が目立つ駅前の風景やフィリピンや南米系の女性達が多いのも共通しています。

蒲田西口2

私は西口に車を停めるのでもっぱら西口から入ることが多いのですが、鳩の糞が頭上から降ってくる駅前の広場のベンチは、何故かいつも時間を持て余したような人達でいっぱいです。また、背後の壁に鳩が止まるたびに、野球のボールを投げつけて鳩を追い払う靴磨きのおじさんも西口の名物と言ってもいいかもしれません。私の知る限り、もう10年以上、銀行の前の定位置で商売をしています。

選挙があると、大田区を地盤にしていた保守政治家の選挙事務所が西口にできるため、周辺の路上パーキングは彼らに占領されてしまうのです。「ここはあんた達の道路じゃないだろう」と一度文句を言った覚えがありますが、やがてその政治家はみずから命を絶ち衝撃的な最後を遂げるのでした。

太田区役所が蒲田に移転する際、田園調布や大森山王のお屋敷町の住民達が、「大田区のイメージが低下する」と反対したのも記憶に新しいところです。しかし、今では公務員(竹中労風に言えば、”木っ端役人”)が多くなったためか、駅周辺の人の様子も徐々に変化している気がします。ご多分にもれずJRは、今春、駅ビルのサンカマタ&パリオ(昨年の夏から閉鎖中)を全面改装し新しい駅ビルとしてオープンする予定だそうです。それに伴いサンカマタ&パリオの名も消えるのだとか。こうして蒲田の街もあの猥雑さが排除され、区役所が立地する街にふさわしいあか抜けた街に変貌していくのでしょうか。個人的にはちょっとさみしい気がしないでもありません。
2008.02.20 Wed l 東京 l top ▲