熱ありて咳やまぬなり大暑の日 友の手紙封切らぬまま
帰るべき家持たぬ孤老の足音今宵も聞こへり盂蘭盆さみし
夜来の雨ぽたりぽたりと天井打ち 仰臥せし我を責めるが如く
裏山で縊死せし女のベットには白きマリア像転がりており
これらは二十歳のときに詠んだ歌です。当時、私は、東京から一旦九州に帰り、国立病院で入院生活を送っていました。高校時代から寺山修司の本を愛読していた私は、やはり同じ病気で数年間の入院生活を送った彼にあこがれ、見よう見まねで「二十歳の夏」と題する歌を詠みました。
恥ずかしいくらい稚拙な歌ですが、しかし、ここにはまぎれもなく二十歳の自分がいたように思います。
入院していたとき、毎週、日曜日になると、父親がやって来るのですが、窓際にあった私のベットから、両手に紙袋を提げ、病院の横の坂道をてくてく上って来る父親の姿を遠くに見ることができました。そして、父親は、途中の生垣が途切れた個所までやって来ると、そこに一瞬立ち止まり、いつも私の病室の方に目をやるのでした。
病室で向かい合っても、父と息子では話が弾むはずもなく、とぎれとぎれのぎこちない会話を終えると、父親はまた洗濯物を詰めた紙袋を両手に提げ帰って行くのですが、帰るときもやはり、生垣が途切れた個所に立ち止まり、こっちの方をちらっと見て再び坂を下りはじめるのでした。
吉田拓郎の「おやじの唄」ではないですが、親父が全てではないし、むしろ親父には反発ばかりしていましたが、その光景を思い出すだびに、やはり、親父は親父だったんだな~と思います。
長い人生の中で、人はときにやけっぱちになり自暴自棄になることもあるかもしれませんが、要はこういった思い出を持っているかどうかでずいぶん違ってくるのではないでしょうか。人生というのは、案外そんなものではないかと思ったりします。
帰るべき家持たぬ孤老の足音今宵も聞こへり盂蘭盆さみし
夜来の雨ぽたりぽたりと天井打ち 仰臥せし我を責めるが如く
裏山で縊死せし女のベットには白きマリア像転がりており
これらは二十歳のときに詠んだ歌です。当時、私は、東京から一旦九州に帰り、国立病院で入院生活を送っていました。高校時代から寺山修司の本を愛読していた私は、やはり同じ病気で数年間の入院生活を送った彼にあこがれ、見よう見まねで「二十歳の夏」と題する歌を詠みました。
恥ずかしいくらい稚拙な歌ですが、しかし、ここにはまぎれもなく二十歳の自分がいたように思います。
入院していたとき、毎週、日曜日になると、父親がやって来るのですが、窓際にあった私のベットから、両手に紙袋を提げ、病院の横の坂道をてくてく上って来る父親の姿を遠くに見ることができました。そして、父親は、途中の生垣が途切れた個所までやって来ると、そこに一瞬立ち止まり、いつも私の病室の方に目をやるのでした。
病室で向かい合っても、父と息子では話が弾むはずもなく、とぎれとぎれのぎこちない会話を終えると、父親はまた洗濯物を詰めた紙袋を両手に提げ帰って行くのですが、帰るときもやはり、生垣が途切れた個所に立ち止まり、こっちの方をちらっと見て再び坂を下りはじめるのでした。
吉田拓郎の「おやじの唄」ではないですが、親父が全てではないし、むしろ親父には反発ばかりしていましたが、その光景を思い出すだびに、やはり、親父は親父だったんだな~と思います。
長い人生の中で、人はときにやけっぱちになり自暴自棄になることもあるかもしれませんが、要はこういった思い出を持っているかどうかでずいぶん違ってくるのではないでしょうか。人生というのは、案外そんなものではないかと思ったりします。