歩いても 歩いても

今、個人的に旬なのは、出版ではNHKブックスと光文社新書とバジリコ社、映画ではシネカノンですが、そのシネカノンが制作に参加し、宣伝・配給を担当する是枝裕和監督の「歩いても 歩いても」を有楽町のビックカメラの7階にあるシネカノン有楽町1丁目で観ました。

「歩いても 歩いても」の舞台は、京浜急行が走る海辺の湘南の街です。その街で暮らす、老いて町医者を廃業した父と専業主婦として一生を送る母。その家に15年前に不慮の事故で亡くなった長男の命日のために、長女と二男の一家が帰って来る。そんな何気ない夏の一日とその裏に隠されたそれぞれの家族の思いや事情がゴンチチのアンニュイなギターの音色をバックに描かれています。

上野千鶴子氏は、江藤淳の『成熟と喪失』(講談社文芸文庫)の解説で、江藤が指摘した「父の崩壊」と「母の不在」という「日本近代」に固有の家族像について、近代の洗礼を浴びて家長の座から転落した「みじめな父」とその父に仕え「いらだつ母」、その母に期待されながら期待に添うことのできない「ふがいない息子」と、自分の人生は所詮、母のようになるしかないと観念する「不機嫌な娘」という、近代産業社会によって出現した中産階級の家族のイメージを具体的に提示していましたが、この「歩いても 歩いても」でも、「みじめな父」「いらだつ母」「ふがいない息子」「不機嫌な娘」が多少の濃淡を交えながら見事に配置されているように思いました。なかでも「いらだつ母」を演じた樹木希林の存在が際立っていました。

「歩いても 歩いても」のもうひとつのテーマは、言うまでもなく“老い”です。持参したスイカを冷やすために風呂場に入った息子(阿部寛)が見たのは、洗い場に新しく取り付けられたパイプの手すりでした。子供にとって親の老いを実感するときほど哀しいものはありません。しかし、老いは誰にも(親にも自分にも)必ずやって来るもので、その当たり前の事実を私達はどこかで受け入れなければならないし、その覚悟を決めなければならないのです。

先日、私はある病院に旧知のおばあさんを訪ねました。80才を優に越え、耳が遠くなり記憶も曖昧で歩くこともままならない状態になっていましたが、周囲に気を遣う優しい性格は昔のままでした。「ご飯食べたの?」と訊くので、「いや、まだですよ」と耳元で答えると、「そう、かわいそうだね~」と言って飴玉を2個くれました。

彼女は、「最近、変な夢ばかり見るんだよ」と言ってました。
「どんな、夢なんですか?」
「田んぼで稲刈りをする夢なんだよ」「昔は機械がなかったから大変じゃったよ」「女子(おなご)は大変じゃった」と。

私はその話を聞きながら、ふと黒田喜夫の「毒虫飼育」という詩を思い出しました。故郷を出奔し、都会の安アパートで息子と二人暮らしをする母親が、突然、押入れの中で蚕を飼い始めるという詩ですが、それは、夜、家に迷い込んだ黄色の蝶を死んだ息子が帰って来たんだと言って追いかける、「歩いても 歩いても」の樹木希林演じる母親の姿とも重なるものがあります。

「そろそろ帰りますよ」と言ったら、彼女は、治療のつらさを訴え、「早くあの世に行きたいよ~」と言ってました。私は、「そうだよね」と言いたくなる気持を抑えて、ただ笑って聞き流すしかありませんでした。

みんな、そうやって最後に残った記憶を抱えて亡くなって行くのでしょう。人の一生は何とむなしくて何とせつないものなのでしょうか。しかし、一方で、誰しも死から逃れることはできないという当り前の事実によって、私達はいくらか救われているような気もします。東京に帰る息子一家をバス停で見送り、再び坂道を戻って行く原田芳雄と樹木希林の老夫婦の後姿を観ながら、典型的な「ふがいない息子」である私は、しみじみとそんなことを考えたのでした。
2008.07.26 Sat l 芸能・スポーツ l top ▲