
年金問題の影響なのか、最近、やたらと老後のことを考えます。街を歩いていても、お年寄りばかりが目に入るようになりました。私にとって老後の理想は永井荷風と岸部シローです。つまり、偏屈とネガティブに開き直って老後をすごせたら、どんなに気が楽だろうと思うのです。まわりは迷惑かもしれませんが、好々爺なんて疲れるだけです。残り少ない人生なら、少しくらい嫌われてもいいから自分に正直に生きたいものです。

戦後、自宅のある千葉の市川から浅草に日参していた荷風は、いつも決まった時間になじみの店に顔を出し、いつも決まったメニューを注文していたそうですが、その際、座る席も決まっていたのだとか。ある日、尾張屋本店で、自分が座る席に先客が座っていたところ、荷風はそのお客をジロリと睨みつけ、背後からわざと大きな咳払いをして席を移動させたのだとか。荷風らしいエピソードだなと思いました。

フランスに遊学したことのある荷風は一時、フランス文学者宅の離れを借りていたのですが、最後は家主のフランス文学者から退去通告を受け引っ越すはめになったのだそうです。なんと部屋の畳の上に七輪を置いて煮炊きをやっていたため、火事の心配をした家主が何度注意をしてもまったく聞く耳を持たなかったのだとか。また、あまりに部屋が散らかっていたので、見かねた家主が掃除をしていたところ、荷風が飛んできて嫌味たらしく押入れの中の札束を数えはじめたとか、偏屈を物語るエピソードにはこと欠きません。
もともと荷風が世間に媚びることなくそうやって偏屈を貫くことができたのは、彼の財力によるところが大きいと言われていますが、その財力にしても、長男の特権にものを言わせて父親の遺産を母親や弟にはビタ一文渡さずひとり占めしたからにほかなりません。しかも、父親が倒れたとき、荷風はなじみの女性とどこかにしけ込んでいて連絡さえつかなかったそうですから呆れるばかりです。
それにしても、こんなに身勝手に生きていけたらどんなにいいだろうと羨ましくさえあります。それが荷風に惹かれる所以なのでしょうか。案外、文学における“孤高”というのはこんなものかもしれません。そもそも成金趣味や世間の良識を冷笑する文士の生き方は、うだつのあがらぬ人生にとって格好のお手本でもあるように思います。
先日、同年代の知人から、最近の若者は道を歩いていてもよけないやつが多いので自分もよけないで真っ直ぐ歩くようにしているという話を聞いて、それはいいなと思い、さっそく私も実行に移すことにしました。今日は絶対によけないで真っ直ぐ歩くぞと心に決めて、横浜駅の中を歩いていたのですが、途中でシルバアクセのネックレスを首からぶら下げたガテン系のニイチャンとぶつかりそうになり、すごすごと道を譲ってしまったのでした。おかげで、偏屈とネガティブに生きるにはまだまだ修行が足りないことを痛感させられました。