健康診断に行きました。検査の結果は後日届く予定ですが、体重が半年前より僅かに減っていました。「やった」と喜んだのもつかの間、考えてみれば、体重をはかると言っても裸になるわけではなくただ上着と靴を脱いで体重計に乗るだけなのです。前回は3月で今回は9月なので、ただ身につけているものの重さが違っただけのような気がしないでもありません。こういうのをぬか喜びと言うのでしょうか。
一方、聴力検査ではあきらかに左耳が聴こえづらくなっていました。これは自分でも自覚症状があります。今までも何度か、まったくと言っていいほど聴こえなくなるときがあり、しばらくすると再び聴こえはじめるのです。それにつれ、話す声が益々大きくなっている気がしますし、また、(これは性格もあるのでしょうが)聞き返すのが面倒臭いので適当に相槌を打つことも多くなりました。
血圧測定では、上が150もあり「高いですね~」と言われました。それで、「深呼吸を三度してください」と言われ、深呼吸してもう一度はかったのですが、逆に158にあがっていました。先日の電話で母親が「血圧が高いので薬を飲んでいる」と言っていたのを思い出し、血圧が高いのは遺伝なのかと今更ながらに思ったりしました。ところが、健康診断が終わったあと、病院のロビーに自動の血圧計が設置されていたので、それではかってみました。すると、115しかないのです。都合4回もはかりましたが、やはりいづれも110~115の間でした。
紙コップに尿を取って提出する際、私の前は20代の若い男の子でしたが、彼の尿はまるでレモンを絞ったみたいにきれいな黄色でした。それに比べて私の尿は濁ったような濃いオレンジ色なのです。それを見て途端に検査の結果が不安になり、「若いっていいなあ~」と脈絡もないことを考えました。
どうして健康診断を受けるんだろうと思います。長生きしたいからでしょうか。私自身は長生きしたいとは思いませんし、そもそも健康な生活というのは性に合ってないように思います。ホントは家でゴロゴロして終日本を読んですごせたらそれが一番なのです。でも、そうは言いながら、やはり、病気が怖いのだと思います。
井上光晴氏(先日、直木賞を受賞した井上荒野さんのお父さん)の絶筆となった『病む猫ムシ』(集英社)という短編集には、病気のことで頭がいっぱいで本を読む気もしなくなったとか、貯金が残りいくらあるか気になって仕方ないとか、病気に苦悩する作家の心のうちが正直に描かれていますが、若い頃の苦い経験もあって、そういった自分でままならない状態になるのが怖いのだと思います。そうかといって特別健康的な生活を心がけているわけでもありませんので、まあ有体に言えば気休めなのでしょう。
一方、聴力検査ではあきらかに左耳が聴こえづらくなっていました。これは自分でも自覚症状があります。今までも何度か、まったくと言っていいほど聴こえなくなるときがあり、しばらくすると再び聴こえはじめるのです。それにつれ、話す声が益々大きくなっている気がしますし、また、(これは性格もあるのでしょうが)聞き返すのが面倒臭いので適当に相槌を打つことも多くなりました。
血圧測定では、上が150もあり「高いですね~」と言われました。それで、「深呼吸を三度してください」と言われ、深呼吸してもう一度はかったのですが、逆に158にあがっていました。先日の電話で母親が「血圧が高いので薬を飲んでいる」と言っていたのを思い出し、血圧が高いのは遺伝なのかと今更ながらに思ったりしました。ところが、健康診断が終わったあと、病院のロビーに自動の血圧計が設置されていたので、それではかってみました。すると、115しかないのです。都合4回もはかりましたが、やはりいづれも110~115の間でした。
紙コップに尿を取って提出する際、私の前は20代の若い男の子でしたが、彼の尿はまるでレモンを絞ったみたいにきれいな黄色でした。それに比べて私の尿は濁ったような濃いオレンジ色なのです。それを見て途端に検査の結果が不安になり、「若いっていいなあ~」と脈絡もないことを考えました。
どうして健康診断を受けるんだろうと思います。長生きしたいからでしょうか。私自身は長生きしたいとは思いませんし、そもそも健康な生活というのは性に合ってないように思います。ホントは家でゴロゴロして終日本を読んですごせたらそれが一番なのです。でも、そうは言いながら、やはり、病気が怖いのだと思います。
井上光晴氏(先日、直木賞を受賞した井上荒野さんのお父さん)の絶筆となった『病む猫ムシ』(集英社)という短編集には、病気のことで頭がいっぱいで本を読む気もしなくなったとか、貯金が残りいくらあるか気になって仕方ないとか、病気に苦悩する作家の心のうちが正直に描かれていますが、若い頃の苦い経験もあって、そういった自分でままならない状態になるのが怖いのだと思います。そうかといって特別健康的な生活を心がけているわけでもありませんので、まあ有体に言えば気休めなのでしょう。