朝、鎌倉から横須賀線に乗ったら、大きな楽器ケースを持った人達がずらりと座席に座っていました。年齢は10代から70代くらいまで幅広く、どうやらアマチュアの演奏家の人達のようでした。残念ながら私は行けなかったのですが、横浜では11日~12日に好例の横濱ジャズプロムナードが開催されていましたので、それに参加する人達ではないかと思います。『ジャズ宣言』&『ジャズよりほかに神はなし』の著者として、私達にはむしろジャズ評論家のイメージが強い平岡正明氏は、『横浜的』の中で横浜のジャズについて次のように書いていました。
とは言っても、これが書かれたのが20年近く前で、今の横浜にもこんな“中音量主義”のような地に足の付いた、懐の深い文化は残っているのでしょうか。一方で、横浜は単なる東京のベットタウンあるいは東京の植民地のような顔もあり、そういった視点から横浜を見れば、俗に言う”ヨコハマの異国情緒”なんてのももはや作りものじみた見世物くらいにしか見えないのかもしれません。
携帯電話が突然、通話不能になりました。相手の声は聞こえるものの、こっちの声が相手に通じないのです。「もし、もし、もしも~し」「おーい、おーい」という相手の苛立つ声を聞くのはそれはそれで面白いのですが、これでは電話の用がなさないので急遽、新しい機種に買い替えました。
それにしても、バリューコースとベーシックコース(ドコモの料金プラン)の違いが何度聞いても理解できませんでした。係員も最初からわかってもらおうとは思ってないみたいで、「ほとんどの方がバリューコースを選ばれています」と言ってましたが、ただそれが言いたいだけなのかも、と思いました。でも、新しい携帯電話を手にするとオジサンでも心は弾むものです。
>>野毛
横浜はジャズがさりげなく豊富な町だ。福富町のコーヒー屋にベリー・コモの「バラの刺青」が流れていたり、野毛の古本屋の店先にウィントン・ケリーが流れていて、こちらはサンダル履いて50CCバイクに乗って町に出てきているのだが、思わず聞きほれたこともあった。(「ヨコハマでは後ろ向きにジャズを」)
最初にジャズが入ってきた港町といっても、客船の時代はおわり、1950年代の「モカンボ」も「ゼブラクラブ」も今は伝説。いいものはみんな東京にとられてしまう。
ええい、歯がゆいが、横浜はこれでいいのだ。音楽が土地にしみこんでいる。さりげなく豊富な町だ。東京のように、おれが今だ、おれが新しいと他を斥けて、外国から入ってくるものを情報として処理したとたん、すり減るようなことはしない。ジャズが港の気配を消さない中音量で鳴っていて、そんな特別のものじゃないよ、という顔をしているのがいいのだ。(「中音量主義でいこう」)
とは言っても、これが書かれたのが20年近く前で、今の横浜にもこんな“中音量主義”のような地に足の付いた、懐の深い文化は残っているのでしょうか。一方で、横浜は単なる東京のベットタウンあるいは東京の植民地のような顔もあり、そういった視点から横浜を見れば、俗に言う”ヨコハマの異国情緒”なんてのももはや作りものじみた見世物くらいにしか見えないのかもしれません。
携帯電話が突然、通話不能になりました。相手の声は聞こえるものの、こっちの声が相手に通じないのです。「もし、もし、もしも~し」「おーい、おーい」という相手の苛立つ声を聞くのはそれはそれで面白いのですが、これでは電話の用がなさないので急遽、新しい機種に買い替えました。
それにしても、バリューコースとベーシックコース(ドコモの料金プラン)の違いが何度聞いても理解できませんでした。係員も最初からわかってもらおうとは思ってないみたいで、「ほとんどの方がバリューコースを選ばれています」と言ってましたが、ただそれが言いたいだけなのかも、と思いました。でも、新しい携帯電話を手にするとオジサンでも心は弾むものです。
>>野毛