
中村うさぎの『私という病』(新潮文庫)は、伏見憲明氏が「解説」で指摘しているように、かの田中美津の『いのちの女たちへ』(河出文庫)にも通じるようなすぐれたフェミニズムの本だと思いました。
雑誌の企画によって、「叶恭子」の源氏名で新宿歌舞伎町でデルヘル嬢として働いた体験を通して、中村うさぎは、“女である私”ととことん向き合い、みずからの中にぬきがたくある「自己嫌悪と女性嫌悪(自分の中の『女性性』に対する嫌悪)の本質」を彼女一流の飄々とした言い回しで表現していました。
私は、女たちが好きだ。たったひとりで頑張って働く女も、主婦という孤独な立場で必死に踏ん張っている女も、道に迷ってへたれ込み絶望している女も、泳ぎ続けてないと死んでしまう魚みたいに暴走し続ける女も、すべての女が私だから。
そして、そんな女であることの迷宮の極北に位置するのが、ほかならぬ東電OLの存在なのです。中村うさぎは、自分をデルヘルに踏みきらせたのも東電OLの存在だと書いていました。それほどまでにあの事件は同じ時代を生きた女性達にとって衝撃的だったのでしょう。
異様にやせこけた身体を少女のようなフリフリの衣装で包み、けばい化粧をして、夜毎、渋谷の道玄坂の裏道を彷徨うように歩いていた東電OLの姿に、多くの女性が自分の姿を重ね合わせたという現実を男達はあまりに知らなすぎるのです。
>>東電OL殺人事件