トウキョウソナタ

恵比寿ガーデンシネマで「トウキョウソナタ」(黒沢清監督)を観ました。公式サイトによれば、カンヌ映画祭の「ある視点」部門審査員賞を受賞した作品だそうです。外国人の脚本(原案)と黒沢監督の手法が、見事とまでは言えないけど、うまくドッキングした映画だと思いました。

会社が総務部を中国に移すことになったためにリストラされた父親。しかし、リストラされたことを家族に言えず、毎朝スーツを着て出勤するふりをしホームレスと一緒に公園の炊き出しの列に並んでいる父親。やっとの思いで面接に行ったら「あなたは会社に何をしてくれますか?」「あなたは何ができますか?」と年若い面接官から詰問される父親。平和ボケした日本を飛び出し「平和を守るため」に米軍の外人部隊に入隊して中東に出兵する長男。

空疎な権威を振りかざして一家の長たらんとする父親には”昭和”が体現され、ネオリベ(新自由主義)信奉者のような若い面接官やまるで「希望は、戦争」(赤木智弘)とでも言いたげな長男には、“サブカル保守”の現代の若者達がカリカチュアライズされているように思います。また、そんな瓦解する日常をさめた目で見つめる母親には、普通に(平凡に!)生きようとしてもただ空回りするしかないこの現代社会の歪んだ姿が投影されているように思いました。

ただ、こっそりピアノを習っていた次男が演奏するドビュッシーの「月の光」を聴きながら父親が涙を流すラストシーンには、監督のインタビューにもあるように、この家族の「希望」が託されているのだと思いますが、私は、「あれっ、家族って再生するの?」と思いました。この映画でも唯一リアルだったのは小泉今日子演じる母親の存在ですが、もはや家族は母親によって仮構されるだけでしょう。

この暴走する現実に対して、「家族が大事」というだけでホントに大丈夫なのでしょうか。もうそれしかないのかと思ってしまいます。個人的に「家族が大事」という気持はわからないでもありませんが、この現実を生き抜くバックボーンとしてはいささか心もとない気がしました。強盗に拉致された母親の「私達はやり直せるんだろうか」という台詞がむなしく聞こえたのはそのせいかもしれません。

恵比寿ガーデンプレイス20081111

映画を観終えて、クリスマスのイルミネーションに彩られたガーデンプレイスの中を歩いていたら、無性に哀しくなりました。それは映画のせいではなく、最近、個人的にやりきれない出来事があったばかりだからです。それだけによけいこの映画のラストシーンに違和感を抱いたのかもしれません。

>>「歩いても 歩いても」
2008.11.11 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲