町田001

かつて業界では、柏(千葉県)と大宮(埼玉県)と町田(東京都)が東京近郊で最も元気のある街だと言われていました。たしかに、夕方に行くと、駅前の商店街などは都心の繁華街に負けないくらい大変な活気がありびっくりさせられます。後年、そのネタ元がアクロスであったことを知りましたが、要するに、都心へ向かう買い物客をそれらの街が途中で堰きとめていると言いたかったのかもしれません。

後述の『新・都市論TOKYO』でも紹介されていましたが、町田を舞台にした三浦しをんさんの小説『まほろ駅前多田便利軒』(文春文庫)で描かれているように、町田には「スーパーもデパートも商店街も映画館も、なんでもある」のです。私も「若者達のジモト(地元)志向」なんていう言葉を耳にすると、必ず町田を連想します。もっとも、私の場合は、かつて同じ会社に勤めていた女の子から、学生時代はいつも厚木のベースのアメリカ兵と町田で遊んでいたという話を聞いたことがあり、そのイメージが未だに残っているからかもしれません。ちなみに、彼女は小田急線沿線の新興住宅街に住んでいて、幼稚園から大学まで玉川学園に通っていた典型的な東京近郊のプチブル家庭の子でしたが、今にして思えば、町田という街を考える上で格好のサンプルになるような女の子だったように思います。

建築家の隅研吾氏は、清野由美氏との対談集『新・都市論TOKYO』(集英社新書)の中で、町田について、次のように書いていました。

町田にはどこからか染み出てきたような、あか抜けしない泥臭さのようなもの―それをリアリティと呼んでもいいだろう―が、私鉄的なフィクションの隙間から顔を出し、流れんばかりの勢いで、街全体を覆っている。


今回、私は初めて横浜線で行きましたが、新横浜からわずか7つ目なのに、町田が近づくにつれ車内の様子が変わってくるのが不思議でした。短髪でやや剃りこみを入れたようなチンピラっぽい若者や電車の床に座り込む高校生のグループなどが目に付くようになりました。そして、これが「私鉄的なフィクション」に対するJR的な「リアリティ」なのかと思ったものです。

隅氏は対談の中で、町田には「”都市”が噴出している」と言ってましたが、しかし、その”都市”はどこかにひらかれているわけではなく、「文化と人間が流れつく最果ての場所」(『まほろ駅前多田便利軒』)なのです。同じ”都市”に生きるさみしさでも、町田のそれはどんづまりのさみしさがあるのではないでしょうか。それが、都市化した郊外の街がときに凶悪な犯罪の舞台になる背景でもあるように思います。

可視的である(なんでもわかっている)というのは、”俺様主義”の今時の若者には楽で居心地がいいのかもしれませんが、しかし、自分の人生に少しでも謙虚に向き合おうとするようなナイーブな人達には、やはり、このどんづまりのさみしさは耐えられないのではないでしょうか。駅ビルからつづく通路の上から、「なんでもある」駅前の通りを眺めながら、そんなことを考えました。
2009.02.14 Sat l 東京 l top ▲