
村上春樹のイスラエルの文学賞・エルサレム賞の受賞スピーチに対して、ある高名なブロガーが「日本人の誇りだ」などと絶賛していましたが、村上春樹というと、皆さん、どうしてそんなに有難がるのでしょうか。今や村上春樹は裸の王様になったような感さえあります。
「壁」と「卵」という喩えも、いつものことながら、思わず吹き出してしまいそうなレベルのものでしかありませんが、そういった声はほとんど聞かれません。邦訳された受賞スピーチ(記念講演)の全文をいくつか読みましたが、天の邪鬼な私にはやはり、”カマトト”や”弁解”という言葉しか浮かびませんでした。まあ、それが村上ワールドだと言われればたしかにそうなのですが‥‥。
さて、『文藝春秋』(3月号)に掲載されていた第140回芥川賞受賞作・津村記久子氏の「ポストライムの舟」を読みました。ポストライムというのはどんな植物なんだろうと思って、ネットで検索したのですが、なかなか出てきませんでした。そして、やっと見つけたのが下記のブログです。
http://plaza.rakuten.co.jp/12140716/diary/?ctgy=2
私は「ポストライムの舟」のような小説は好きです。奈良の築50年の実家で母親と二人暮らしの主人公・ナガセは、ある日、契約社員として働いている工場の休憩室で、NGOが主催する世界一周旅行のポスターに目が止まり、突然、その費用163万円を貯めようと決意するのでした。それは手取り13万8千円の彼女の給料のほぼ1年分の金額でした。
生きるために薄給を稼いで、小銭で生命を維持している。そうでありながら、工場でのすべての時間を、世界一周という行為に換金することもできる。ナガセは首を傾げながら、自分の生活に一石を投じるものが、世界一周であるような気分になってきていた。
砂を噛むような味気ない毎日、そんな毎日を生きるせつなさとやり切れなさ、そこに「一石を投じる」ことで、何かが変わるような気がするのは私達も経験することです。生きるということはそういうことなのです。地方で暮らす30歳を前にした女性の等身大の日常を通して、そういった人生の断面を見事に描いていると思いました。
日本がもしコミュニストの国になったら(それは当然ありうることだ)、僕はもはや決して詩を書かず、遠い田舎の町工場の労働者となって、言葉すくなに鉄を打とう。働くことの好きな、しゃべることのきらいな人間として、火を入れ、鉄を灼き、だまって死んで行こう。
これは、石原吉郎さんの1960年8月6日の「ノート」に記されていた文章ですが、少なくとも戦後の文学はこういった視点から出発したはずなのです。そして、こういった日常こそがなによりも価値があるのだということを私達も既に知っているはずです。選評で、山田詠美が「『蟹工船』より、こっちでしょう」と書いていましたが、私もそう思いました。