
恋愛は人間永遠の問題だ。人間ある限り、その人生のおそらく最も主要なるものが恋愛なのだろうと私は思う。
これは、坂口安吾の「恋愛論」(『堕落論』所収)の一節ですが、たしかに今までの人生をふり返ってみるに、恋愛はいちばんと言ってもいいくらい大きな出来事(思い出)として残っています。
安吾は、「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ」と書いていますが、私もいつの間にかその「大人の心」を持つ年齢になってしまいました。だからこそ、若い人達には大いに恋をして大いに失恋し大いに泣いた方がいいと言いたいのです。最近は傷つくのが怖くて恋愛をしない若者が多いそうですが、そんな歪んだナルシシズムを抱えたまま大人になっていくというのは逆に怖いなと思います。
寝ても覚めても好きな人のことを考える、そんな体験は長い人生でもそうそうあるものではありません。一方で、人を好きになればなるほどより孤独になっていく自分がいます。それは、人を好きになることが同時に自分と向き合うことでもあるからでしょう。
そして、そんな自分の目に映っているのは、今までの自分ではない自分です。人を好きになることによって新しい自分を発見することがあるのです。ときに、どうして自分はこんな人間なんだろうと悩むこともあります。そうやって自分という存在を激しく揺さぶられることがあります。それらは、歪んだナルシシズムとは対極にあるものです。
孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、このほかに花はない。
人を好きになることはせつないしつらいし苦しいし、ときに哀しいものでもありますが、人生においてこんな(人間として)直截且つ原初的な体験を一度にすることは恋愛をおいて他にありません。大いに恋をすべしです。