称名寺

横浜出身のモデル・小泉里子さんが、ラジオ番組の中で、地元のオススメスポットとして、金沢区の称名寺をあげていましたので行ってみました。

シーサイドラインの「海の公園柴口」で下車して、海の公園とは反対の坂道を上り、住宅街の中を5~6分歩くと、称名寺の赤門が見えてきました。ちなみに、「海の公園柴口」の隣が「八景島」で、私が生涯でいちばん恐怖を味わったジェットコースターのある八景島シーパラダイスは海の公園の対岸にあります。

赤門をくぐると参道が伸びており、両隣は昔からの民家が軒を並べていました。中には参拝客相手に食べ物屋を営んでいる家もありましたが、平日でしたので、どこも店は閉まっていました。参道の先には仁王門があり、現在は通りぬけることができません。仁王門と言うからには当然、中から阿吽像(金剛力士像)が睨みをきかせていました。

仁王門の横から境内に入ると、まず、阿字(あじ)池と朱塗りの反橋が目に飛び込んできました。反橋と言えば、個人的には川端康成の小説を思い出しますが、川端康成の小説の舞台は大阪の住吉大社なのです。阿字池は、思ったより大きな池ではありませんでしたが、昔はもっと小さくて、これでも整備されて大きくなったのだそうです。庭園は「浄土式庭園」という平安末期の様式で、きれいに整備されており、年に数回ライトアップされるそうです。平日の午後でしたので、境内は人もまばらで、ほとんどが犬の散歩をしている近所の人達でした。

称名寺の背後は市民の森となっており、緑豊かな山林がつづいていました。昔は称名寺は山の中腹にあったのでしょう。しかし、今は駅からつづく坂道のまわりは典型的な新興住宅地になっています。隣には称名寺と縁の深い金沢文庫がありますが、残念ながら時間がなかったので、今回はパスせざるを得ませんでした。

小泉さんは、称名寺にはなんとも言えない空気感があると言ってましたが、それにはやはり、人の少ない平日がおすすめです。木陰のベンチに座って、静謐な時間が流れる境内の風景を眺めていると、しばし日常の些事も忘れ肩から力がぬけていくような気がします。

帰りは、来たときとは逆の坂道を下って京浜急行の「金沢文庫」駅を利用しました。やはり、京急の方が古いので、京急側の住宅地は年季が入った建物が多く、私はふと、『歩いても 歩いても』の風景を思い出しました。もっとも、金沢文庫の住宅地は海とは反対側なので、坂道を下ると海が見えてくる『歩いても 歩いても』の舞台は、隣の金沢八景あたりではないかと言われていますが。

坂道を下っていると、私の前をひとりの老人が歩いていました。白い開襟シャツに綿のズボンをはいて、やや背中が丸まった白髪の紳士でした。しばらく歩くと、老人は生垣に囲まれた古い家の門の中に入って行ったのです。その門の上には文字もほとんど消えかかった板の看板が掲げられいました。門の中では、やはり年老いた男性が中腰になって花樹の手入れをしていました。前を通りすぎるとき、「先生、どうもすいません」「いえ、いいんですよ」といった会話が耳に入りました。年老いて廃業した町医者とそこにやってきた昔からのなじみの患者。私は、(やや強引ですが)なんだか『歩いても 歩いても』のシーンが再現されているような錯覚さえ覚えました。

こういった古い住宅地を歩いていると、子供の頃を思い出します。もうこういったほのぼのとした生活は望むべくもないのです。そう思うと、なんだかさみしい気持になりました。

帰って駅の近くのスーパーでレジに並んでいたら、うしろの主婦が何度もカートを私にぶつけるのです。ぶつかっているのはわかっているはずですが、知らんぷりなのです。スーパーのレジや駅の券売機などでやけに前の人間をせかせる、この手の人間はよくいますが(そのくせ自分のときはゆっくり財布にお金を戻したりしてまったく気を使わないけど)、いい加減頭にきたので、「ぶつかってますよ!」と言ったら、「この人、なに?」みたいな顔をしてむくれていました。道を歩いていて自分からぶつかっても、相手を睨みつけるようなタイプの人なのでしょうが、今日はよけい「ああ、(まだ人々にデリカシーがあった)昔がなつかしいな~」なんて思ったりして、いつの間にか回顧主義者になっている自分がいました。


称名寺1

称名寺2

称名寺3

称名寺4

称名寺5

称名寺6
2009.05.26 Tue l 横浜 l top ▲