東芝太尾アパート1

以前、「東芝太尾アパート」のキーワードでアクセスしてきた方がいらっしゃいました。どうしてこのキーワードでヒットしたのか不思議ですが、大倉山から菊名に向かう途中の裏道にこの東芝太尾アパート(正確には”東芝太尾家族アパート”)があります。

ところが、先日、前を通ったら、既に建物は無人と化し入口が板で封鎖されていました。以前、山本哲士さんが、ご自身のブログ「ホスピタリティの場所」で「日常にしみこむ金融危機の波及」と題して、「スイスもついにおつりをごまかしはじめた」話を書いていましたが、このアパートの封鎖もやはり金融危機と関係があるのでしょうか。

東芝太尾アパート2

実際に住んでいる人間から言えば、その理由がいまひとつわかりませんが、住宅地として人気のある大倉山には昔は社宅も多くあったようです。友達の話では、全日空の女子寮があったのだそうで、ウソかホントか「よく車で迎えに行ったよ」と言ってました。また、別の知人も、以前勤めていた中央官庁の外郭団体の職員住宅があったとかでなつかしそうに話していました。東芝の社宅もそのなごりだったのかもしれません。

駅近辺は昔からの細い路地が縦横に走っており、人気の住宅地(!?)にあるまじき歩行者と自転車のトラブルが絶えませんが、その中に古い木造のアパートが建っている一角がありました。駅から数分の場所にもかかわらず、まるでそこだけは時代から取り残されたようにノスタルジックな雰囲気を漂わせていました。ところが、そのアパートもいつの間にか取り壊されて更地になっていました。あのアパートには何人かのひとり暮らしのお年寄りが住んでいたはずですが、皆さんどうしたのでしょうか。
2009.06.15 Mon l 横浜 l top ▲