「金を使え、ものを買え」という政府の掛声に乗せられて、相変わらず散財の日々を送っています。あれから春夏もののジャケットも誂えました。これで、今年に入ってなんと3着目です。紺のウインドベンの結構お気に入りの(もちろん、アメリカントラッドの)ジャケットなのですが、同時進行でダイエットをしていたため、出来上がりを見ると胴回りがややゆったりしている感じで、袖口もちょっと長く感じられました。

もちろん、「直し」もきくのですが、わざわざ持っていくのは面倒臭いので、近所の「仕立て直し」をやっているところで袖口だけ詰めてもらうことにしました。よく利用するスーパーの近くに、門のところに小さく「仕立て直し」の看板を下げている家があったので、とりあえず、ヤフーの電話帳で電話番号を調べて電話してみました。すると、案の定、実物を見てみないとわからないという返事でしたので、実物を持って行くことにしました。

で、件の家に行って、玄関で「すいません、先ほど電話した者ですが‥‥」と言うと、奥から出て来たご婦人が怪訝な顔をして、あきらかに戸惑っている様子でした。

「あの~、○○さんのお宅では?」
「いえ、違いますよ」
「エッ、仕立て直しの○○さんではないのですか?」
「ああ、それならその線路の先の方ですよ」
「エッ」

つまり、同じ「仕立て直し」をやっている家でも、私がそうだと思い込んでいた家と電話した家は違っていたのです。

そうなると、私の本領発揮です。
「ああ、そうですか。まあ、いいや。面倒臭い」「実はこのジャケットの袖口を詰めてもらいたいんですよ」

正直そうなご婦人は、「○○さんでなくていいのですか?」
「いいです。いいです。電話しただけですから」

電話した○○さんには申し訳ないことをしましたが、このように最近はとにかくなんでも面倒臭くて、いい加減になっている自分がいます。ただ「金を使え、ものを買え」と言うだけのどこかの国の政府と同じで、これは末期症状なのかもしれません。

>>お金が全てではない
2009.06.19 Fri l 日常・その他 l top ▲