”国営マンガ喫茶”などとヤユされている国立メディア芸術総合センター(仮称)構想のニュースを聞いたとき、ふと、『パラダイス鎖国』(アスキー新書)の海部美知氏が3年前に自身のブログ「Tech Mom from Silicon Valley」に書いていた、「日本製アニメは『東洋の魔女』時代のバレーボールか?」という記事を思い出しました。

よく「日本のアニメは世界に誇る文化だ」などと自画自賛する声を耳にしますが、案外そうでもない現実を海部さんはアメリカの例をあげて書いていました。もともと日本人というのは(日本人に限らないのかもしれませんが)、みずから神話を作りそれに酔い痴れる傾向がありますので、なんでも一歩下がって冷静に聞く必要があるのかもしれません。

アメリカにおいて、日本のアニメ、とりわけポケモンが一世を風靡したのは事実ですが、それにはアメリカのメディアの事情によるものが大きく、「偶然の産物」だったと海部氏は書いていました。

ポケモンが流行った頃、テレビメディアの規制変更によって(一定の比率で子供番組を流すと、放送ライセンスの取り扱いに優遇を与えるという政策によって)、「子供番組」の特需があったにもかかわらずコンテンツ制作が追いつかなかったため、窮余の策として手っ取り早く輸入して流さざるを得なかったという業界事情があったのだとか。その結果、たまたま(?)ポケモンがヒットしたというわけです。

しかし、ポケモン以後、日本のアニメの影響力はむしろ低下の一途を辿っているように見える、と書いていました。どうやら一部のオタク市場の中にある「ジャパン・クール」を過大視しているのが実態のようです。海部氏はそういった状況をつぎのように辛辣に書いていました。

(前略)たまたまアメリカや他のポテンシャルの高い国が手薄だったときに、日本が頑張って金メダルを取ったけれど、その後他の国が本気を出してきたらあっというまに沈んでしまったバレーボールみたいなものに見えるのである。ポケモンの流行は、一過性の「東洋の魔女」だったように見えるのである。

それなのに、まだ日本の新聞などでは、「日本はアニメが強い」「日本のアニメで、ジャパン・クールが受けている」と言い募っているのを聞くし、役人がそれに便乗して税金を無駄に使って不必要な仕事を作り出しているようだ。


もちろんこれは国立メディア芸術総合センター構想のはるか前に書かれていますが、けだし慧眼です。
2009.06.20 Sat l 社会・メディア l top ▲