
マイカル本牧へ10数年ぶりに行ってみました。かつて私は仕事だけでなくプライベートでもデートで行ったこともあるし、何よりマイカル本牧のベンチで当時つき合っていた彼女に別れの手紙を書いた苦い思い出もあります。しかし、今のマイカル本牧にデートで出かけるカップルなんていないでしょう。
メイン道路の角に閉鎖されたまま醜態を晒している5番館の建物がなんだかこの間のマイカルの歩みを物語っているようでした。かつてはスペインだったかの港町をイメージした業界では画期的なショッピングセンターでしたが、今は見る影もありません。
昔のイメージがあったので、どこがマイカル本牧なのか、さっぱりわからず最初は戸惑いました。犬を散歩しているご婦人に「マイカル本牧ってどこですか?」と聞いたくらいです。それもそのはずで、ウィキペディアによれば、当時は1~12番館まで建物があったそうですが、現在残っているのは、サティと横浜銀行が入る3番館とマイカルシネマズ(MOVIX本牧)が入る6番館だけで、残りは既に閉鎖されたり解体されたりしているそうです。もちろん、彼女に別れの手紙を書いたベンチなど跡形もありません。

ただ、周辺は人どおりも多く、住宅街としてそれなりに活気がありました。交通手段がバスだけという不便さはあるものの、なにせ1980年代まで米軍に接収されていた土地ですので、横浜ではめずらしい平らな土地で、住宅地としてはめぐまれた環境にあり、マイカル本牧の凋落を尻目に宅地開発は順調にすすめられたようです。ただ、道路沿いの建物に「テナント募集中」の看板がやたら多かったのが気になりました。
メイン道路沿いはマンションが目立ちますが、一歩中に入ると瀟洒な一戸建ての住宅が立ち並ぶ住宅街もありました。それにしても、ウィキペディアではないですが、ニュータウンの中に屹立する廃墟というのはまさにシュールな光景です。


帰りは山手トンネルを越えて元町まで歩きましたが、途中の本牧の商店街も昔ながらのいい味は出しているものの、やはりシャッターが下りた店舗が目立ちました。
そもそもみなとみらい線を本牧まで伸ばす計画があったにもかかわらず、地元商店街の反対でとん挫したのだそうで、それを考えれば今日の廃れた光景は自業自得と言えなくもありません。余談ですが、横浜というのは、こういった住民エゴの影をいろんなところで見ることができます。かつての飛鳥田市政・長洲県政の負の遺産だという声もありますが、横浜市は依然として”役人天国”の側面がありますので、住民エゴをタテに事なかれ主義が蔓延している気がしてなりません。
マイカル本牧ができたとき、文字通り業界では衝撃をもって受け止められましたが、今考えれば、「大丈夫なの?」という冷静な声は皆無でした。みんな「すごい」「すごい」と言っていたのです。これもバブルのなせる業だったのかもしれません。
そう言えば、当時、私も会社から専用のクレジットカードをもたされ、給料とは別に月に30万円まで自由に使っていいとお墨付きをもらっていましたし、営業車もベンツをあてがわれ、月に9万円の駐車場(車1台分が9万円!)を借りていました。「いい時代」と言うより、どう考えても「おかしな時代」だったのです。マイカル本牧の今日の無残な姿も「おかしな時代」のなれの果てと言うべきかもしれません。みんな狂っていたのです。