
遅ればせながら、平岡正明氏が今月の9日、脳梗塞のため亡くなったことを知りました。よく横須賀線を利用するのですが、保土ヶ谷を通るとき、ときどき平岡正明氏のことを思い出したりしていました。野毛には千回通ったと書いていましたが、保土ヶ谷から愛用のバイクに乗って野毛や伊勢佐木町や福富町などに通う中で、あの名著『横浜的』(青土社)が生まれたのです。
高校時代、図書室にあった日本読書新聞で、当時「世界革命浪人」などと名乗っていた平岡正明(ヒラオカセイメイ)氏の犯罪とジャズに関する文章を読んで以来、文字通りジャズのアドリブを地で行くような平岡氏の文章のファンになりました。『韃靼人宣言』・『ジャズ宣言』・『ジャズより他に神はなし 』・『あらゆる犯罪は革命的である』・『闇市水滸伝 』・『マリリン・モンローはプロパガンダである』etc、なんだか見てはいけないものを覗き見るような感じで、心臓を高鳴らしながら読んだ覚えがあります。
平岡正明氏には、五木寛之氏や山下洋輔氏や筒井康隆氏やタモリなどにつながる”人脈”がありますが、それをつなぐのは言うまでもなくジャズです。山下洋輔トリオの復活のステージを見ずして亡くなられたのはかえすがえすも残念でなりません。今から25年以上前に書かれた『おい、友よ』(PHP新書)という本で、あまりに過激な内容のために発売禁止になったタモリの「戦後日本歌謡史」を高く評価し、「タモリを応援せよ」と言った平岡正明氏に、今の「いい人」タモリを見てどう思っているか、一度聞いてみたかった気がします。
横浜に関して言えば、野毛の大道芸やジャズ祭などとの関わりを見てもわかるとおり、アジテーター&オーガナイザーとして面目躍如といった感じがありました。
0時0分0秒、停泊中の巨船の咆哮を合図に大小の船が競って汽笛を鳴らした。隣のフォルクスワーゲンの男は、日本人だと思うが、フィリッピンあたりの人かな、手をひろげて「オー・イエース」と言いやがった。空冷エンジン、うるさいんだよ。でも横浜だからゆるしちゃう。
シルクホテルは、消防法基準に合致していないとかで、ホテル・ニュージャパンの火災のあと自主的に営業中止しているはずだが、その五階の暗い窓を開けて、ハラリとフランス国旗がたれ下がった。拍手するドライバーがいる。フランス人よ、なにもフランスを支持しているわけではないのだぜ。われわれ日本人はお祭り好きなんだよ。
海面を渡ってきた汽笛が海岸通りの建物の列でドッブラー効果をおこし、町全体がオルガンのように鳴り響いた。その音はたしかに除夜の鐘に似ていた。(「港ヨコハマ・除夜の汽笛」)
こういった文章を読むと、やはり横浜が好きだったんだなと思います。