今日、田舎の母から小包が届きました。送り状に「ピオーネ」と書いていましたので、ブドウのようです。ふがいない息子は小包を開ける勇気さえなくそのままにしています。老いた母のことを考えると、すごく責められているような気がしてつらい気持になります。
財産をひとり占めした身勝手な永井荷風は、実家を継いだ弟から絶縁状態におかれていました。そのため、実家に帰ることもままなりませんでした。母親の病状が悪いと告げられた日、荷風は『断腸亭日乗』にこう記しています。
そして、母親が亡くなったときも、臨終に立ち会うこともなく葬儀にも出なかったそうです。しかし、次のような句を詠んで、ひとり夜を泣きあかしたのでした。
泣きあかす夜は来にけり秋の雨
秋風の今年は母を奪いけり
以後、荷風は、母親の形見である裁縫セットを生涯大事にして、戦争で疎開するときも肌身離さず持ち歩いたのだそうです。
荷風のこの気持は痛いほどわかります。
財産をひとり占めした身勝手な永井荷風は、実家を継いだ弟から絶縁状態におかれていました。そのため、実家に帰ることもままなりませんでした。母親の病状が悪いと告げられた日、荷風は『断腸亭日乗』にこう記しています。
昭和十二年四月三十日。 くもりにて南風つよし。午後村瀬綾次郎来りて母上の病す々みたる由を告ぐ。されど余は威三郎が家のしきみを跨ぐことを願はざれば、出で々浅草を歩み、日の暮る々を待ち銀座に飯(注:原文は旧字)し富士地下室に思ふ
そして、母親が亡くなったときも、臨終に立ち会うこともなく葬儀にも出なかったそうです。しかし、次のような句を詠んで、ひとり夜を泣きあかしたのでした。
泣きあかす夜は来にけり秋の雨
秋風の今年は母を奪いけり
以後、荷風は、母親の形見である裁縫セットを生涯大事にして、戦争で疎開するときも肌身離さず持ち歩いたのだそうです。
荷風のこの気持は痛いほどわかります。