ヘヴン


川上未映子の新作『ヘヴン』(講談社)を読みました。

斜視が原因で、学校で「ロンパリ」と呼ばれ暴力的ないじめにあっている14歳の「僕」が、四月の終わりのある日、<わたしたちは仲間です>という手紙を受け取るところからこの物語ははじまります。ふで箱に小さく折りたたまれて入っていたその手紙は、同じクラスの女生徒「コジマ」からのものでした。彼女もまた汚い身なりが原因で、クラスの女の子達から「ゴミ」などと言われ同じようにいじめにあっていました。

それから二人の手紙のやりとりはつづき、二人の奇妙な友情は深まっていきます。「コジマ」に誘われて、彼女が「ヘブン」と呼んでいる一枚の絵(シャガールの「誕生日」?)を見に美術館に出かけたときの二人は、なんだか「小さな恋の物語」を思わせるような初々しさがあり、それだけにせつなくてやりきれないものがありました。

 それからしばらくしてコジマが泣いているのがわかった。
 声をたてずに顔を少し背けて、ごしごしと目をこすり、手のひらで垂れてくる涙をほおにのばしていた。僕は生温かくなった飲みものの容器を両手でにぎったまま、地面を見ていた。隣で音をたてないように泣いているコジマになにか言葉をかけたかったけれど、その気持が頭のなかをめぐるだけで言葉はうまく見つからなかった。
「色々なことが、あるから」コジマはしばらくしてから小さな声で言った。それから手のひらで顔をもむようにしたあと、きこえるかきこえないかの声で僕にむかってごめんね、と謝った。
「せっかくなのに」コジマは泣き顔をごまかすように、そしてきまりが悪そうに笑って僕を見たけれどまだ泣いてるみたいに見えた。


ところが、そんな弱々しく見えた「コジマ」が、やがて独特な考えをもっていることに「僕」は気づきます。「コジマ」は、イジメの原因になっている「僕」の斜視を「とても好きだ」と言うのです。それは「大事なしるし」だからと。そして、自分が汚い身なりをしているのも、離婚して孤独で貧しい生活をしている父親を忘れないための「しるし」なのだと。

ここでこの小説のキーワードである「意味」が登場します。「コジマ」は、いじめられるのも「意味」があるし、弱いことは悪いことではない、むしろ正しいのだと言います。だから、現実をあるがままに受け入れるべきだと。そうやって試練を乗り越えることで、自分達は弱い立場から強い立場になれるのだと言うのです。「しるし」というのは、そういった”強い意志”をもつための、いわば与件なのでしょう。しかし、いじめを誰にも訴えることもできずただ不条理な現実を嘆くだけの無力な「僕」は、「コジマ」のそんな”強い意志”に次第に齟齬を感じるようになるのでした。

もうひとり、この小説の軸になる人物が登場します。それは、直接手を下すわけではないが、いつも背後からいじめをさめた目で見ているクラスメートの「百瀬」です。彼は、「コジマ」とはまったく逆の考えをもっていました。「僕」がいじめられるのも斜視が原因ではないと言うのです。そして、いじめにもなにか特別な「意味」があるわけではないと。

「べつに君じゃなくって全然いいんだよ。誰でもいいの。たまたまそこに君がいて、たまたま僕たちのムードみたいなものがあって、たまたまそれが一致したってだけのことでしかないんだから」


「意味なんてなにもないよ。みんなただ、したいことをやってるだけなんじゃないの、たぶん。まず彼らに欲求がある。その欲求が生まれた時点では良いも悪いもない。そして彼らにはその欲求を満たすだけの状況がたまたまあった。君をふくめてね。それで、彼らはその欲求を満たすために、気ままにそれを遂行してるってだけの話だよ。(略)」


「コジマ」の”強い意志”と「百瀬」のニヒリズムの間で右往左往する「僕」は、いわば私達の姿でもあるのかもしれません。「良いか悪いか」「善か悪か」といった二者択一的な価値観にとらわれ、ものごとを倫理的にしか解釈できない私達。しかし、現実はいかようにも解釈可能なのです。いじめの原因であった斜視がわずか1万5千円の費用で容易に手術できることを知り、手術を終えて帰宅する途中、目の前の風景がまるで違ったものに見えて感動するラストシーンが、なんだかそれを暗示しているようでした。

一方で、カルト的な宗教がさまざまなイニシエーションを使って人生の風景を違ったものに解釈して見せたとき、多くの若者が狂信的に帰依したのを私達は知っています。私達はこんな危うい人生の現実を生きているのです。「意味」なんていくらでも書き換え可能なのです。

この小説を作者が影響を受けた永井均教授のニーチェの思想に引きよせて解説したり、あるいは「百瀬」のニヒリズムをドフトエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に登場する大審問官になぞらえて解説する向きもありますが、むしろ私は、そういった先入観とは無縁な、現代社会の真っただ中で生きる普通の(!)若者達の率直な感想を聞きたいと思いました。それがこの作品の評価のすべてではないでしょうか。というのも、作者がいじめを題材にとったのも、前作までの饒舌体を封印して平易な文体で作品を作り上げたのも、自分の言葉がどこまで若者達に届くかという企図があったように思うからです。

>>「乳と卵」
2009.09.21 Mon l 本・文芸 l top ▲