
今日はいつもと散歩コースを変えてみました。
最寄駅とは反対方向に歩いて、鶴見川の土手に出ると、いつも上流の新横浜の方に散歩するのですが、今日は反対の下流の方へ歩くことにしました。土手を下ると河川敷に遊歩道がのびており、既に川岸には背丈ほどのススキの穂が風にゆれていました。遊歩道は鶴見川に沿って大きく湾曲し、20分くらい歩くと、やがて河川敷にある自動車学校のコースの先に東横線の鉄橋と大綱橋が並んでかかっているのが見えてきました。いつもの見慣れた風景をこうして下から見ていると、午後の陽ざしを浴びて鉄橋の上を走っている赤いラインの入った東横線の車両がなんだか新鮮に見えました。
いったん土手をのぼって大綱橋を渡り、今度は対岸の土手を折り返して上流に向かって歩くことにしました。対岸の綱島側は、駅からも近く土手のすぐ下はマンションなどが立ち並び、土手もコンクリートで整備されていることもあって、大倉山側と違って人が多くて賑やかでした。なんだか「フーテンの寅さん」の冒頭にでてくる荒川の土手みたいで、昼寝をしている人、読書をしている人、おしゃべりをしているカップル、それに河川敷ではバーベキューをしているグループもいました。また土手の上はジョギングや犬の散歩をする人やベビーカーを押して散歩する家族連れなどがひっきりなしに行き交っていました。
堀田善衛の小説に『広場の孤独』というのがありますが、たとえば新宿や池袋の人ごみの中にいるときの孤独感と、こうして郊外ののんびりとした時間に中にいるときの孤独感を比べると、私はやはり後者の方がきつい気がします。ときに底なしの孤独感のようなものを抱くことさえあります。
歩け、歩け、そんな感じでした。歩いていると、いろんなことを考えいろんな思いにとらわれますが、同時に歩くことでふり払うものもあるように思います。荷風もこうしてなにかをふり払うために歩いていたのかもしれません。
しばらく歩いていると、正面の陽ざしが徐々に西の空に傾いていくのがわかりました。自転車で横をすりぬけていった外人が、先の方で自転車を停めて、陽ざしにカメラを向けてシャッターをきっていました。
やがて電機メーカーの物流センターの先に新羽橋が見えてきました。ここが今日の散歩の終点です。歩数を確認したら、1万5千歩を越えていました。