坂口安吾は、「恋愛論」の中で、「恋愛というものは常に一時の幻影で、必ず亡び、さめるものだ、ということを知っている大人の心は不幸なものだ」と書いていましたが、その前に恋愛に免疫ができて耐性がつくことの方が不幸な気がします。
たしかに、好きで好きでたまらずいつも幻影を求める気持は若いときでも「大人」でも変わりがありませんが、失恋したあとの気持は自分でもびっくりするくらい違うものがあります。どこかでさめている部分があるのです。よく復縁を求めて相手を刺傷したりストーカーになったりする人がいますが、あれは恋愛感情というよりなにか別の現世的な打算がからんでいるか、精神病理学上の問題があるように思えてなりません。実際はむしろ逆です。
人間には学習能力もありますし、慣れもあります。それに、分別もできます。別に泣き明かしたわけでも悶々として一睡もできなかったわけでもなく、翌朝、目をさまして部屋の窓をあけたら朝の澄んだ空気がとてもさわやかに感じました。どうしてさわやかなんだと思いましたが、これが「大人」の不幸というものかもしれません。
そして、いつものように「恋愛論」を読んでいる「大人」の自分がいました。
それにしても、安吾や太宰の書いたものを同時代的に読むことができた人々は幸せですね。私もそんな”素朴な時代”に生きたかったなとしみじみ思いました。今の時代は恋愛に限らず何事においてもややこしすぎます。
>>恋をする
たしかに、好きで好きでたまらずいつも幻影を求める気持は若いときでも「大人」でも変わりがありませんが、失恋したあとの気持は自分でもびっくりするくらい違うものがあります。どこかでさめている部分があるのです。よく復縁を求めて相手を刺傷したりストーカーになったりする人がいますが、あれは恋愛感情というよりなにか別の現世的な打算がからんでいるか、精神病理学上の問題があるように思えてなりません。実際はむしろ逆です。
人間には学習能力もありますし、慣れもあります。それに、分別もできます。別に泣き明かしたわけでも悶々として一睡もできなかったわけでもなく、翌朝、目をさまして部屋の窓をあけたら朝の澄んだ空気がとてもさわやかに感じました。どうしてさわやかなんだと思いましたが、これが「大人」の不幸というものかもしれません。
そして、いつものように「恋愛論」を読んでいる「大人」の自分がいました。
人は恋愛によっても、みたされることはないのである。何度、恋をしたところで、そのつまらなさが分る外には偉くなるということもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生は成りたたぬ。(略)
人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。
それにしても、安吾や太宰の書いたものを同時代的に読むことができた人々は幸せですね。私もそんな”素朴な時代”に生きたかったなとしみじみ思いました。今の時代は恋愛に限らず何事においてもややこしすぎます。
>>恋をする