
ずっと忙しくてなかなか時間がとれなかったのですが、やっと今日、みなとみらいのワールドポーターズのワーナー・マイカル・シネマズで「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」を観ました。
ところで、最近の映画館にはいろんな割引制度がありますが、私に該当するものはほとんどありません。女性は毎週水曜日が1000円、どちらか50才以上の夫婦ならひとり1000円、60才以上も1000円、また、高校生は3人以上のグループならひとり1000円などのサービスがありますが、いづれも対象外です。強いていえば、毎月1日の1000円均一ぐらいですが、その日はどこも混雑していてゆっくり映画を観る雰囲気ではありません。まして、私のようなトールサイズの人間は、座席の両サイドが埋まっていると、途中で足がしびれて映画を観るどころではなくなるのです。
今日などは、平日の午後だったということもあるのか、それこそ数えるほどしか観客が入っていませんでしたが、見渡すとみんなそれぞれ割引に該当するような人達ばかりでした。もしかしたら正規の料金(1800円)で入っているのは自分だけじゃないかと思ったら、なんだかバカらしい気持になりました。
さて、「ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ~」ですが、監督が「遠雷」や「サイドカーに犬」の根岸吉太郎、脚本が「ツィゴイネルワイゼン」や「セーラー服と機関銃」の田中陽造となれば、いやが応でも期待せざるをえません。しかし、残念ながらその期待は裏切られてしまいました。原作に忠実だった方がよかったんじゃないかと思いましたが、全編これ予告編という感じで、散漫な感は否めませんでした。”如何にも”のような映画ですが、ただ”如何にも”で終わっている感じでした。
「なぜ、はじめからこうしなかったのでしょうね。とっても私は幸福よ」
「女には、幸福も不幸も無いものです」
「そうなの? そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人は、どうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」
こんな太宰のアフォリズムにイカれるのもわからないでもありませんが、個人的にはこの台詞が出てきただけで興ざめでした。太宰一流の韜晦(とうかい)に惑わされて、「太宰読みの太宰知らず」みたいなところがあったのかもしれません。
また、松たか子はまだしも、浅野忠信と妻夫木聡にはどうも違和感を禁じえませんでした。きつい言い方をすれば、彼らが太宰が生きた「戦後の混沌とした時代」を演じるのは無理があるように思いました。
太宰が「すごい」のは、敗戦により価値観が転倒し、焼け跡の中で国民が空腹を満たすことだけに汲々としていた時代に、ひとり生きる哀しみを抱え、ただ死ぬことだけを考えて生きていたということです。それが太宰の文学なんですね。しかし、この映画からはそういった太宰の「すごさ」が伝わってきませんでした。「耐える女」なんてどうでもいいことなのです。それが「美しい愛の物語」だというのはフジテレビの幻想です。そんなことは太宰にとってどうでもいいことだったのだと思います。
かろうじてラストシーン(写真)が救いだったように思いますが、でも、やはりこの映画に1800円は高いと思いました。