最近の若い女の子は大変だなと思いますね。ストーカーやDV(ドメスティック・バイオレンス)などその手のニュースにはこと欠きませんが、たしかに男の子達の"劣化"はひどくなる一方のようです。彼らの"オレ様主義"はある種病的な感じさえ受けます。身近でもDVの話をよく聞きますが、これではDVが多いのも頷けます。

いらぬおせっかいかもしれませんが、私のまわりでも「どうして?」と思うような恋愛がホントに多いのです。たしかに今の若い男の子達は優しいのですが、でも、その"優しさ"こそDVと紙一重だということがわかってないように思います。

まわりも(親達も)恋は盲目とでも言いたいのか、「(好きになったら)しょうがない」といった感じで、最初からあきらめムードなのです。内田樹氏の『下流志向』ではないですが、勉強しなくても、お行儀が悪くても、働かなくても、「いいのよ、いいのよ、個性があればいいのよ」という親が多すぎる気がしますが、「しょうがない」「言うことを聞かないから」というのもその延長にあるような気がしてなりません。

じゃあ、「個性」や「自由」は必要ないのかと言えば、もちろんそうではありません。問題なのは「個性」や「自由」について一度も考えたこともないくせに、さも「個性」や「自由」が大事であるかのように言うその"口ぶり"なのです。「いいのよ、いいのよ、個性があればいいのよ」というのは、なにも考えてないからそう言えるのかもしれないのです。

ぞんざいな口のきき方しかできないのも「個性」なのか、オリンピックの制服を着崩すのも「個性」なのかと言いたいですね。国母選手の服装問題でも、若い人ほどきびしい意見が多いそうですが、それは、TPOもわきまえない(わきまえることができない)同じような人間を普段身近で見ているので、彼らのどうしようもなさがよくわかっているからではないでしょうか。一方、「目くじらを立てるほどではない」と理解を示す大人達は、いつもそうやって「いいのよ、いいのよ、個性があればいいのよ」と言ってきた、なにも考えてない人達なのでしょう。
2010.02.17 Wed l 社会・メディア l top ▲