
おおいた見ちょくれアルバム 竹田市より
人生には忘れられない風景というのがあります。と言っても、それは旅行かなにかで行った特別な風景とかではなく、日常で遭遇したなんでもない風景なのです。でも、それがいつまでも心の中に残っていることがあるのです。
私は、子どもの頃、運動会の途中にそっと抜け出して、ひとりで校舎の裏に行くのが好きでした。遠くから歓声やアナウンスの声が聞こえる中、まるでそこだけ置き去りにされたかのようにひっそりと静まりかえり、えも言われぬ寂寥感につつまれているのでした。それはいつもと違う風景でした。と言って、別に暗い性格の子どもだったわけではなく、むしろ逆だったと思いますが、それは誰にも知られたくないヒミツとして自分のなかにありました。
そういった心性は、たとえば、終着駅のある街が好きだとか、横浜の場末っぽいところが好きだとか、大人になった今も残っているように思います。
若い頃、九州の地元の会社に勤めていたことがありました。そのときのことですが、ある夜、竹田市にいる友人に会いに行ったのです。商店街の中にある友人の家を尋ねたところ、友人は不在で、帰るまで時間を潰すことになりました。それで、まち外れにあるパチンコ屋に入りました。小一時間、客もまばらなその店で時間を潰して、再び友人の家に行きました。
そして、既に帰宅していた友人と近くのホテルの中にある小料理屋に行きました。古い城下町の通りは人っ子ひとり歩いてなく、まるでゴーストタウンのようでした。土塀が連なる路地に入ると、いっそう夜が濃くなっていく気がしました。小料理屋でなにを話したのか、まったく覚えていませんが、それから間もなく私は再び上京することになったのでした。もしかしたら、東京に行くことを相談に行ったのかもしれません。小料理屋を出たとき、路地をふきぬける風がやけに肌寒く感じたのを覚えています。
たったこれだけの話ですが、でも、今でもその風景が忘れずに残っているのです。と言うか、そのときの寂寥感のようなものが忘れられないのです。あれ以来、竹田にも行ってませんが、その後、友人は家庭を築き、しっかり地域に根付いた人生を送っています。一方、私は、相変わらず行きあたりばったりの風来坊のような生き方をつづけています。今思えば、あのとき私は、二度と田舎には戻らないということも含めて、あの風景の中にひとつの覚悟を決めたような気がするのです。