ラジオから流れてきた森山直太朗の「さくら」を聴いていたら、いろんな思いが頭の中をかけめぐり、しみじみとした気持になりました。この時期になると、「春歌(はるうた)」などと称して、やたら卒業シーズンにあわせた歌が発売されますが、やはりこの歌を超えるものは出てないように思います。
昨日、久しぶりに田舎の母に電話しました。
「あんた、身体はどうな? いつも仏様にお参りするときはあんたの身体のこともお祈りしちょるんよ」
そんな母の声を聞くと、やはり胸にこみあげてくるものがあります。
吉本隆明氏は、「母の型式は子どもの運命を決めてしまう。この概念は存在するときは不在というもの、たぶん死にとても似たものだ」(「母型論」)と書いていましたが、哀しいときやつらいとき、やはり、知らず知らずのうちに母を恋うる歌を奏でたくなる自分がいます。余談ですが、日本人がもっている抒情というのは、こういった心性から生まれるのかもしれません。
桜の花もいっせいに咲き始めました。都心の地下鉄の駅では真新しいスーツに身をつつんだ若者のグループも目につくようになりました。そんな光景が今年はいつになくまぶしく見えて仕方ありません。
昨日、久しぶりに田舎の母に電話しました。
「あんた、身体はどうな? いつも仏様にお参りするときはあんたの身体のこともお祈りしちょるんよ」
そんな母の声を聞くと、やはり胸にこみあげてくるものがあります。
吉本隆明氏は、「母の型式は子どもの運命を決めてしまう。この概念は存在するときは不在というもの、たぶん死にとても似たものだ」(「母型論」)と書いていましたが、哀しいときやつらいとき、やはり、知らず知らずのうちに母を恋うる歌を奏でたくなる自分がいます。余談ですが、日本人がもっている抒情というのは、こういった心性から生まれるのかもしれません。
桜の花もいっせいに咲き始めました。都心の地下鉄の駅では真新しいスーツに身をつつんだ若者のグループも目につくようになりました。そんな光景が今年はいつになくまぶしく見えて仕方ありません。