
昔観た映画で、路線バスがある日突然、いつものコースを外れて違う道を走りはじめるというシーンがありましたが、そのとき、運転手の気持が痛いほどよくわかりました。今日、ふと思いついてひとつ手前の菊名で下車しました。そして、いつもと違う反対側の出口に出て、住宅街の中の道を進んでいくと新横浜の環状2号線に突き当りました。それで、太尾緑道を歩いて帰りました。
桜並木の下を歩いていたら、「去年、桜を見て、私たちは何度、泣いたことでしょう」という「江角マキ子さんの手紙」の文章を思い出しました。前を保育園の子どもたちが保母さんに引率されて散歩していました。その光景がなんだか自分とは違う世界のもののように感じました。
病院で隣にすわっていた入院患者の方と話をしていたら、その方も以前、埼玉に住んでいたと言うのです。「埼玉にいた頃、飲み屋の女と知り合いになってな。結婚していたんだ。でも、今も籍は入ったままだけど、まったく連絡はない」のだそうです。脳梗塞で半身不随になり車椅子生活を余儀なくされているその方を見ながら、釈尊が言うように、誰しもみんな心の中に哀しみを抱えて生きているんだなと思いました。
先日、友人と、ひとり身なのと家族はいるけど冷たい関係でいるのとではどっちがいいだろうという話になりました。私はなんとか言っても家族がいれば多少なりとも支えになるんじゃないかと言いました。でも、最近離婚したばかりの友人は、そうとは言い切れないよと言ってました。
生老病死は誰しも避けることのできない人生の苦ですが、要はひとり身でも家族がいても、最後はひとりでこの難題に向き合うしかないです。通俗的な言い方になりますが、その「運命」をどこまで受け入れることができるか、それにかかっているのかもしれません。