今日は朝から「鳩山・小沢ダブル辞任」のニュースが飛び交っていましたが、辞任は当然で、むしろ遅すぎた感さえありますね。

政権交代から8ヶ月、どうして期待が失望に変わったのか、それは政策的な後退もさることながら、民主党に自民党的な古い政治の姿を見たからではないでしょうか。政治が変わった(変わってほしい)と思っていたのに、なんにも変わってなかったということです。そんな「政治が変わってほしい」という期待やその反動の「支持政党なし」「政治的無関心」という態度には、もしかしたら既成政党が背負いきれないくらいラジカルな要素も含まれているということかもしれません。少なくとも時代に政治が追いついてないことはたしかで、その意味ではこれからも政治的混乱はつづくのはないでしょうか。

今朝はふと思いついて、横須賀線の保土ヶ谷駅で途中下車して、国道1号線を横浜駅まで歩きました。駅前の松屋で朝食の「焼魚定食」を食べて、それからいつも車窓から見ていた沿線の風景の中をひたすら北東の方角に歩きました。

途中、久保町付近には自動車の修理工場が点々とありましたが、あのあたりはもともと自動車関連の店が集中する地域だったのかもしれないと思いました。東京でも同じ業種が集まる地域というのがあって、たとえば東麻布なども、昔は中古の自動車部品を扱う店が多くあったのだそうです。街の転変が激しいので、昔の面影をさがすのはなかなかむずかしいのですが、そういった街の成り立ちを考えるのも面白いです。

久保町の先には1階が24時間営業の肉のハナマサで、2階がキリスト教の教会になっているマンションがあり、そのコントラストも面白かったのですが、残念ながらカメラを持ってなかったので写真を撮ることができませんでした。また、ずっと気になっていた平沼橋の商店街も歩きました。ややひなびた感じの商店街の建物の上を京急(京浜急行)の赤い電車が横切って行く光景がとてもよかったです。横浜の中心部の京急は高架になっているので、味わい深い光景が多いです。

初めての街を歩くときは、どこか心がはずみます。そして、何気ない風景でもいつまでも印象が残ります。車でさっと通りすぎるだけではそんな気持にはなれません。やはり歩くというのはいいもんだなと思いますね。一方で、田口ランディの「空っぽになれる自分」ではないですが、歩きながら自分の中に沈殿する余分なものを捨てているようなところもあります。余分なものを捨てるというのは大事なことで、そうしないとこの心の中からわずかな希望でも見つけることができない気がするのです。
2010.06.02 Wed l 日常・その他 l top ▲