
関内で用事をすませたあと、山下公園でしばらく読書をして、そして、いつものように山下臨港線プロムナード・赤レンガ倉庫・みなとみらい・横浜駅のコースを散歩して帰ってきました。
山下公園のベンチでは、松本聡香著・『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』(徳間書店)を読みました。カルト教団の教祖の四女として富士宮の教団施設で生まれ、上一色村のサティアンで育った著者が、生まれて20年、地下鉄サリン事件から15年の壮絶な人生をつづった本です。
妻妾が同居した異常な環境で育った幼少期。地下鉄サリン事件後、差別といじめにさらされる学校生活。そして、放浪と自殺願望で身も心もボロボロになっていく思春期。
運命とは言え、たしかに「壮絶」としか言いようのない20年の人生です。ただ、一方で、「ホントかな?」という読後感は消えることがありませんでした。それは一連の報道の中で、いやというほど目にした「どんなウソでもつく」教団のイメージがぬけきれないからでしょう。友人にこの本の内容を話したら、読んでもいないのに「ウソばっかり」と言ってました。
それに、淡々とした筆致にやや興ざめの感は否めませんでした。もしかしたらゴーストライターが書いたのかもしれません。
著者は家族や教団や残党信者達に対して、多分に冷めた目で見ているのですが、ホントはもっと複雑で微妙な思いもあるはずです。しかし、手慣れた文章では、そういう思いがいまひとつ伝わってきません。その点が残念でした。
幼い頃から教祖として接することを強要され、ときに暴力を振るわれ、「殺されるんじゃないか」という恐怖心を抱くことさえあった父親ですが、その一方で、わずかに残る「やさしい父親」の思い出を追憶する著者に、田舎でよく耳にした「血は汚い」という言葉を思い出しました。どんな父親であれ、子どもにとって父親であることには変わりがないのです。だから、洗脳が解けていけばいくほど、現実とのはざまで苦しまなければならないのでしょう。
唯一著者の感情が出ていたのが、小管の拘置所に面会に行ったときのつぎの場面です。
とりとめのない話をしているうちに、30分の面会時間は終わりました。
「お身体に気をつけてください」
私が席を立ち上がった時、父は何かを呟きましたが、この時は聞き取れませんでした。
私はドアのところでもう一度振り返り、面会室を出て行く父の背中に向かって「大好き!」と叫び、そのまま駈け出しました。
面会室から帰る廊下で私はずっと泣いていました。
しかし、話はそれだけでは終わりません。その日、普段はまともな会話もできない父親(麻原彰晃)に対して、著者は「やっぱり詐病だったんだ」という確信を深めるのでした。それがつぎの箇所です。
自分でも何をトンチンカンなことを言っているんだろうとおかしくなってしまいました。父も声を立てて笑いました。
そして、その笑いに乗じて父が言ったのです。
「さとか‥‥」
それは私にだけ聞こえるくらいの小さくて懐かしい父の声でした。父は右手で自分の口を覆い隠すようにして、笑い声でごまかうように私の名前を呼んだのです。看守は気づかなかったようですが、私には聞きとれました。(略)もしかしたら、父は私の話をちゃんと聞いて理解しているのだろうか。ふと、そんな気がしました。

病気の悩みはつづいています。知り合いの病院関係者から、その道では有名な大学病院の先生を紹介してあげるので相談してみたらと言われました。時間的な猶予はまだあるのですが、しかし、いづれ結論を出さなければなりません。それだけは間違いない。
梅雨の前の今は散歩にいい季節です。目の前の海を行き交う船を眺めながら、ひとりはさみしいけれど、やっぱりひとりがいいなとしみじみ思いました。ふと見上げると、澄み切った6月の空がやけにまぶしく感じられてなりませんでした。