HMVにとって日本進出1号店で、文字通りの旗艦店であった渋谷店が8月いっぱいで閉店だそうです。このままいけばHMVは日本から撤退することもあるんじゃないか、と思ったら、なんのことはない既に日本法人のHMVジャパンの株は大和証券の関連会社に譲渡されており、経営上はとっくに日本から撤退していたのでした。尚、HMVジャパンの株は、近々大和証券グループからTSUTAYAのカルチュア・コンビニエンス・クラブに譲渡される予定なのだそうです。
今回の閉店はCD販売の不振や若者の街・渋谷の地盤沈下などが要因であるのは言うまでもありません。渋谷の大型店としては、ほかにTSUTAYAとタワーレコードがありますが、要するに、渋谷とて大型店が3店も存立しえなくなったということなのでしょう。ちなみに、TSUTAYAのバックには取次大手の日販(日本出版販売)が付いており、書店でもセゾンが母体だったリブロも現在は日販の子会社になっています。
私もフリーター時代、日販のお茶の水の本社でアルバイトをした経験がありますが、このように、ネットの影響をもろに受け業態の転換をせまられているレコード店や書店などは、大手の印刷会社や取次会社による系列下が急速に進められています。これはいわゆる”残存者利益”を確保するための行動と言えなくもありません。レコード店や書店に限らず、いろんな業界でこのように資本集中がどんどん進んでおり、市場の再編が行われています。そして、こういった市場再編の梃子になっているのが、小泉改革でもたらされた(市場原理主義的な)”新自由主義経済”なのです。
「起業のすすめ」とかいった掛け声だけはさかんですが、少なくとも既存の分野で独立自営を志すには、益々環境がきびしくなっているのが現状です。折しも、今日の朝日新聞に、経済産業省が11日に発表した「消費者向け電子商取引実態調査」の記事が出ていました。私のところにもNTTデータを通してアンケートが来ていましたが、それによれば、「インターネット販売などを利用した小売店やメーカーの8割は、売上高が3千万円未満」で、「1事業者当たりの従業者数は約3人で、小規模の会社や個人事業主が多くを占める産業構造が明らかになった」ということでした。既存の分野で「起業」のチャンスを見つけるのが益々むずかしくなっている中で、「起業」しようとすると、真っ先に思い浮かぶのがネット販売だというのはゆえなきことではないのです。まるでそこにしかチャンスがないかのようです。
実際に産業構造の転換が急速に進むリアル世界で「起業」するには、よほどの個性とアイデアが必要です。私達の親達を見てもわかるとおり、昔の方が商売するにもはるかにチャンスがありました。この20年、どれだけ多くの街のレコード屋さんが店じまいをして、どれだけ多くの店主達が人生の苦境に陥ったことでしょう。時代の流れで店じまいをせざるをえないのは仕方ないとしても、問題はそのあと人生をやり直す余地がほとんどないということです。
「第三の道」だとか言ってますが、民主党の菅政権にもこのような新自由主義的な要素がかなり含まれているように思います。前に民主党政権は両刃の剣だと書きましたが、その負の部分がはやくも出てきたような気がします。「起業のすすめ」なんて言いながら、実際は益々寄らば大樹の陰のような生き方を強いられ、会社人間こそ人生の生きる道みたいなドグマに拝跪しない限り、希望もくそもないような世の中になっているのです。しかも、多くの人間は会社人間すらなれず、使い捨ての駒でしかない「非正規労働」の身分に甘んじなければならないのです。
一方で、会社がすべてではないんだから、会社人間なんかならずに自由な生き方を選択すればいいじゃないか、だから「非正規労働」もありだ、という考え方もあります。私も基本的には同意しますが、ただ、現実はこのように自由で多様な生き方を選択する余地は少なくなる一方で、逆にそういった生き方のリスクは大きくなる一方なのです。
HMVが撤退しても、TSUTAYAへの資本の集中があるだけです。ネットやグローバリゼーションによる産業構造の転換は、当初言われていたこととは逆に、私達に不自由な生き方しかもたらしていません。規制緩和して”新自由主義経済”になれば、チャンスも増え人生の選択の幅も広がるという喧伝は、どう考えてもデマゴギーだったとしか思えません。
今回の閉店はCD販売の不振や若者の街・渋谷の地盤沈下などが要因であるのは言うまでもありません。渋谷の大型店としては、ほかにTSUTAYAとタワーレコードがありますが、要するに、渋谷とて大型店が3店も存立しえなくなったということなのでしょう。ちなみに、TSUTAYAのバックには取次大手の日販(日本出版販売)が付いており、書店でもセゾンが母体だったリブロも現在は日販の子会社になっています。
私もフリーター時代、日販のお茶の水の本社でアルバイトをした経験がありますが、このように、ネットの影響をもろに受け業態の転換をせまられているレコード店や書店などは、大手の印刷会社や取次会社による系列下が急速に進められています。これはいわゆる”残存者利益”を確保するための行動と言えなくもありません。レコード店や書店に限らず、いろんな業界でこのように資本集中がどんどん進んでおり、市場の再編が行われています。そして、こういった市場再編の梃子になっているのが、小泉改革でもたらされた(市場原理主義的な)”新自由主義経済”なのです。
「起業のすすめ」とかいった掛け声だけはさかんですが、少なくとも既存の分野で独立自営を志すには、益々環境がきびしくなっているのが現状です。折しも、今日の朝日新聞に、経済産業省が11日に発表した「消費者向け電子商取引実態調査」の記事が出ていました。私のところにもNTTデータを通してアンケートが来ていましたが、それによれば、「インターネット販売などを利用した小売店やメーカーの8割は、売上高が3千万円未満」で、「1事業者当たりの従業者数は約3人で、小規模の会社や個人事業主が多くを占める産業構造が明らかになった」ということでした。既存の分野で「起業」のチャンスを見つけるのが益々むずかしくなっている中で、「起業」しようとすると、真っ先に思い浮かぶのがネット販売だというのはゆえなきことではないのです。まるでそこにしかチャンスがないかのようです。
実際に産業構造の転換が急速に進むリアル世界で「起業」するには、よほどの個性とアイデアが必要です。私達の親達を見てもわかるとおり、昔の方が商売するにもはるかにチャンスがありました。この20年、どれだけ多くの街のレコード屋さんが店じまいをして、どれだけ多くの店主達が人生の苦境に陥ったことでしょう。時代の流れで店じまいをせざるをえないのは仕方ないとしても、問題はそのあと人生をやり直す余地がほとんどないということです。
「第三の道」だとか言ってますが、民主党の菅政権にもこのような新自由主義的な要素がかなり含まれているように思います。前に民主党政権は両刃の剣だと書きましたが、その負の部分がはやくも出てきたような気がします。「起業のすすめ」なんて言いながら、実際は益々寄らば大樹の陰のような生き方を強いられ、会社人間こそ人生の生きる道みたいなドグマに拝跪しない限り、希望もくそもないような世の中になっているのです。しかも、多くの人間は会社人間すらなれず、使い捨ての駒でしかない「非正規労働」の身分に甘んじなければならないのです。
一方で、会社がすべてではないんだから、会社人間なんかならずに自由な生き方を選択すればいいじゃないか、だから「非正規労働」もありだ、という考え方もあります。私も基本的には同意しますが、ただ、現実はこのように自由で多様な生き方を選択する余地は少なくなる一方で、逆にそういった生き方のリスクは大きくなる一方なのです。
HMVが撤退しても、TSUTAYAへの資本の集中があるだけです。ネットやグローバリゼーションによる産業構造の転換は、当初言われていたこととは逆に、私達に不自由な生き方しかもたらしていません。規制緩和して”新自由主義経済”になれば、チャンスも増え人生の選択の幅も広がるという喧伝は、どう考えてもデマゴギーだったとしか思えません。