
スター不在と言われた今回のW杯ですが、もし決勝トーナメントでアルゼンチンがドイツに勝っていたら、今大会の主役は間違いなくアルゼンチンのマラドーナ監督になっていたはずです。それくらい彼は常にマスコミの注目を一身に集めていました。
今日、アルゼンチンサッカー協会が、マラドーナに対して、代表監督としてあらたに4年契約を(つまり、ブラジル大会までの続投を)提示するというニュースがありました。マラドーナは、日本では未だに「薬物常習者」とか「堕ちた偶像」とかいったヒールのイメージがありますが、アルゼンチンに限らずラテンアメリカでは、”マラドーナ信仰”とも言われるほど熱狂的な人気をほこっているのだそうです。
折しも先日届いた某記者クラブの会報に、「マラドーナ:反帝国主義の10番」という記事が出ていました。これは、ホセ・ステインスヘルというコラムニストがメキシコの日刊紙「ラ・ホルナダ」に書いた記事を転載したものですが、この記事には、「貧困から這い出して頂点に駆け上がった天才プレイヤーが貧困に苦しむラテンアメリカの民衆から熱狂的に支持されるもう一つの理由」(編集部のリード)が書かれていました。
マラドーナが「ラテンアメリカの民衆に熱狂的に支持されるもう一つの理由」、それは彼が反米・反帝国主義という「下層で左派的な人々に由来する理念」をラテンアメリカの民衆と共有しているからです。「そして、これが、彼と、サッカー資本主義界におけるアンクル・サムであるペレとの違い」なのだと。
マラドーナは、右の肩にチェ・ゲバラの入れ墨を、左のふくらはぎにはフィデル・カストロの入れ墨を入れているのだそうです。一方で、サッカー選手の組合結成も呼びかけているのだとか。それではサッカー界の利権を握る権力者たちから煙たがられるのは当然です。
この記事では、ブッシュ(元アメリカ大統領)のことを「ブッシュのゴミ野郎」と呼んだり、ローマ法王の話を聞いたあと、サン・ピエトロ寺院の黄金の天井を見上げて、「カトリック教会が貧しい子どもたちのことを心配してるっていうなら、この天井を売っぱらって、なんとかしろよ」とかいった彼の発言も紹介していました。
こういったマラドーナのような存在が可能なのは、サッカーが野球や相撲と違って、常に「世界」にひらかれているインターナショナルなスポーツだからでしょう。そして、人々はサッカーを通して「世界」と出会うのです。
私のまわりでも彼のパフォーマンスが話題になっていましたが、ぜひ代表監督を続投して、これからもあのパフォーマンスとともに「五大陸の貧しく抑圧された人々の良心を揺さぶる」メッセージを発信してもらいたいと思います。
※この記事は、Yahoo!トピックスに「関連情報」として紹介されました。