若い頃、仲のいい友人からよく「人間嫌いだ」と言われていました。と言っても、学校でも職場でも別に孤立してわけではありません。むしろ逆で、取引先の人からも、「絶対に人見知りしないタイプですよね」とか「誰とでもすぐ友達になれるタイプですよね」とか言われていたくらいです。でも、自分ではやはり、「人間嫌い」だと思っていました。他人(ひと)を好きになることがないのです。いつも相手のアラばかりさがして自分から嫌いになるのでした。

20世紀は戦争と革命の世紀だと言われますが、一方で「人間賛歌」「人間復権」の時代でもあったのだそうです。たしかに「人間ってすばらしい」なんていうヒューマニズムと一体になった”人間主義”みたいな思想が私達をおおっています。学校でもそういった教育を受けます。間違っても「人間は汚い」とか「人間はずるい」なんて教えられることはありません。「人間を好きになれ」と言われます。しかし、私の中にいる人間はいつも汚くてずるくて信用ならないものです。それは恋愛でも同じでした。

昔の話ですが、ある休日、私達は浅草でデートしました。そして、駒形橋から水上バスに乗ることになりました。川岸にある乗り場に行ったら、既に多くの人が行列してつぎの便を待っていました。私達はその最後尾に並ぼうとしたのですが、ふと横を見ると、列を外れて椅子に座っている7~8人の中年の女性のグループがいました。それで私は、女性達に「先に並びますがいいですか?」と声をかけました。すると、図々しいおばさん達は「あれれ、ごめんなさいね」とかなんとか調子のいいことを言いながら私達の前に並んだのでした。

そのとき、横にいた彼女が「バカだねぇ。ホントに人が好いんだから。だから、ダメなんだよ」と私に言ったのです。私はただ苦笑いをしただけですが、一方でそのときふと、「もしかしたら、オレはこの子と別れるかもしれない」と思ったのでした。

それから数年後、彼女と別れることになりました。もちろん直接の原因は別にあったのですが、ただ、そのときの「もしかしたら・・・」という気持が私の中にずっと残っていたことはたしかです。いつの間にかそんなネガティブな気持にしばられている自分がいて、それが彼女に対するうしろめたさになっていました。

これは恋愛に限らず、人間関係全般にも言えます。そのために、「すぐ仲よくなる」けれど、いつも「来る者は拒まず去る者は追わず」みたいな感じで、一過性なものに終わってしまいます。永井荷風のように偏屈で、岸部シローのようにネガティブな老人になりたいと思っている私には、それはそれでいいのかもしれませんが、ただ一方で、年をとればとるほど、他人(ひと)が去っていくことに対して、より心の負担を感じるようになっているのも事実です。ことはそう単純ではないのです。
2010.07.19 Mon l 日常・その他 l top ▲