
やっと茅ヶ崎に行きました。新横浜に用事があったので、用事を終えたあと、新横浜から市営地下鉄で横浜に出て、横浜から東海道線で行きました。茅ヶ崎より辻堂の方が街だというのは、どうも”自虐ギャク”だったみたいです。辻堂には駅裏に広大な空地があり、その空地にショッピングセンターかなにかができるという話を聞いたことがありますので、「むしろ辻堂の方が街だ」というのは、そのショッピングセンターができた場合の話なのかもしれません。
茅ヶ崎の駅ビルは、どう見てもルミネに見えますが、ルミネではなくラスカというのだそうです。前はルミネだったそうですが、数年前にラスカに変更になったのだとか。ラスカはJR東日本の子会社の湘南ステーションビルが運営する駅ビルで、茅ヶ崎のほかに平塚・小田原・熱海にあり、いわば地域限定の駅ビルのようです。茅ヶ崎駅の周辺にはイトーヨーカドーもありますし、ヤマダ電機もありました。なんの変哲もないJRの駅と言えば、そう言えないこともありません。
私は反対側の南口(写真上)を出て、駅からまっすぐに伸びている道路をひたすら海に向かって歩きました。さすがに途中で、サーフボードを抱えた若者達とひっきりなしにすれ違いました。しかし、私が目を引いたのは、ガングロの”元若者”達です。マイク真木のような長髪でガングロのおじさんやおばさんがホントに多いのです。皮膚ガンの心配はないんだろうか?といらぬことまで考えてしまいました。
別名「加山雄三通り」とも呼ばれている(らしい)東海岸本通りには、個性的な雑貨を売る店も結構ありました。手作りもあれば輸入物もあり、それぞれこだわりを持った店ばかりでした。

既に夕方で、しかも海が多少荒れていたということもあるのか、海岸は思ったより人が少なくて、むしろ、遊歩道を散歩をする人の方が多いくらいでした。考えてみれば、埼玉にいた頃、国道16号線を南下してよく湘南の海に来ました。いつも季節外れの海でしたが、どうしてあんなに海を見に来たんだろうと思いますね。
人々はどうして湘南にあこがれるのでしょうか。もちろん、明治時代に上流階級向けの別荘地の開発によって、湘南という土地がブランド化されたことが大きいのでしょう。また最近では、サーフィンの普及や(”湘南サウンド”なんて言われるとこっちまでこっ恥ずかしくなりますが)加山雄三やユーミンやブレッド&バターや南佳孝らの音楽などによって、湘南=日本のウエスト・コーストのイメージが定着したことも多分に影響しているように思います。今風に言えば、スローライフへのあこがれといった感じなのかもしれません。とにかく、東京近辺で生活をしていると、人々は海の近くに、それも湘南に住むことにあこがれるのです。だから、茅ヶ崎や辻堂に住んでいるというだけで、羨ましがられるのですね。
たしかに、かつて島尾敏雄も住んでいたことがあるという海岸近くの住宅街には、庭木に囲まれた瀟洒な木造住宅も多く、(最近はなんでも老後に結びつけて考えるクセがありますが)こういうところで老後をすごせたらいいだろうなと思いました。実際に生活するとなると、ベランダに砂がたまったり、洗濯物がベトついたり、門柱や手すりがすぐ錆びたり、深夜暴走族がうるさかったりと、いろんな支障もあるみたいですが、ただ、茅ヶ崎あたりに漂っているややローカルな空気の中で、のんびりと「海のある生活」を送りたいという気持はわからないでもないですね。たとえそれが幻想であってもです。
