ブログの編集ページを見ていたら、当方のミスで、設定が「下書き」になったまま「公開」になってない記事が見つかりました。「保存」した日時は、2010年8月27日になっていましたので、ちょうど4年前の記事です。記事中にあるように、『日本の路地を旅する』のあとです。

ヘイト・スピーチは、決して今にはじまった問題ではないのです。ネットの書き込みを見ても、そのもの言いが、昔、私たちの上の世代が言っていたのとそっくり同じなのに驚かされます。つまり、差別のことばは、同じ構造のなかで連綿と受け継がれているのです。

それで、4年遅れになりましたが、あらためて本日付で記事をアップすることにしました(一部リンク切れを修正しました)。

-------------------------------------------------------------

サンカの民と被差別の世界


『日本の路地を旅する』の流れで、五木寛之氏の『サンカの民と被差別の世界』(五木寛之 こころの新書・講談社)を読みました。私は、五木寛之氏が生まれた福岡県八女郡とは九州山脈をはさんでちょうど反対側の、大分県の山間の町で生まれ育ちましたので、やはり差別は身近にありました。門付けの芸人や物乞いを「カンジン」と呼んでいたのも同じです。

また、この本の中でも取り上げられていますが、同郷にサンカ小説で有名な三角寛がいましたので(三角寛は、池袋の文芸座を創設した人としても知られています)、サンカに対しても若い頃から興味をもっていました。

五木氏が本の中で書いていたように、田舎(農村)で家もなく土地もないような人達は、程度の差こそあれ、差別(蔑視)の対象になっていました。それは、言うまでもなく、定住して農業を営む在来の人間に対して、家も土地ももってない人間というのは、どこからかやってきた”よそ者”だったからでしょう。私の田舎でも、彼らの多くは山仕事をしたり山菜や川魚を取って、それを温泉旅館に売ったりして生計を立てていました。当然、生活は貧しくて、川岸や町はずれなどで、掘立小屋のような粗末な家に住んでいたのを覚えています。やがて高度成長の過程でみんな田舎を離れて行くのですが、私の中には、どうして彼らはこんな田舎に住み着いたんだろうという疑問がずっとありました。親に聞いても、よくわからないと言うのです。

五木氏は、「触穢(しょくえ)思想」の背景に「竹の文化」と「皮の文化」があると書いていましたが、大分県は竹の産地で竹工芸が盛んな土地でもあります。そんな地元の名産品の中にも、差別の歴史があることを知りました。

差別というのは、「差別はよくないのでやめましょう」「はい、やめます」というようなものではありません。いわんや、みずから負い目を背負って懺悔すればいいってものでもありません。私達にとって、差別というのは、やはり”乗り越えるべきもの”として”在る”のだと思います。なぜなら差別は、心の構造として、社会の構造として私達の中に”在る”からです。

一方で、差別問題の中に”同和利権”や”人権マフィア”のような負の部分が生まれ、そのために解放運動に失望して差別問題そのものに背を向ける人が多くなっているのも事実です。しかし、だからと言って、『日本の路地を旅する』でも書いているように、「路地の哀しみと苦悩」がなくなったわけではありません。

差別は歴史的な概念にすぎないと言えばそうなのですが、差別される当事者にとっては、そんな単純なものでないことは言うまでもありません。子どもの頃よく遊んでいた同級生にしても、普段は大人たちの陰口を除いて、差別なんてほとんど経験しなかったと思いますが、長じて結婚するような年齢になると、途端に差別の現実が立ち現われてくるのです。

大事なのは、差別の歴史を知ることとともに、そういった個々の人間の人生に投影された個別具体的な「路地の哀しみと苦悩」に思いを馳せ、それを少しでも共有することではないでしょうか。なによりそういった想像力をもつことだと思います。文学作品の中にも、『破戒』(島崎藤村)や『青年の環』(野間宏)や『死者の時』(井上光晴)や『枯木灘』(中上健次)など(個人的には堤玲子もいますが)、差別をとり上げた作品がありますが、その意味でも文学の役割は大きいのだと思います。

この本の中で紹介されていたサンカの末裔の方が書いた「サンカ研究の視座」という文章について、五木氏は、サンカの水平社宣言ではないかと書いていました。「それでも人間は生きんとした」、こういったことばのもつ重みを受けとめる感性を、私達が同じ人間としてもっているかどうかではないでしょうか。

 私の関心は一点、「なぜ人間がこの生き方を選んだか、あるいは選らばざるをえなかったのか」という疑問であり、サンカと呼ばれた側からの、その生き方の必然性に迫りたいという問題意識である。
 サンカ論は、「旅」「放浪」「漂泊」をキーワードとして、彼らの暮らしの特異性を都合よく切り取って、論じつくせるものではない。
 どのような要因が、「一所不在」すなわち「所有を断ち切る」という歴史的転回点に彼らを立たせたのか―。なぜそのような生活形態を自ら選択したのかという解明こそが、サンカ研究の視点ではないかと、私は考えている。
 それは数ある選択肢の中から、意気盛んに自ら選ぶといったロマンチックなものではない。歴史における支配の差別・弾圧が、苛酷なまでに死の淵、絶望の極みに人間を追いつめ、その時代を生きた多くの人間の怨嗟うずまく中で、生きる術をすべて奪われた者たちの、捨て身の抗いであったであろう。
 それでも人間は生きんとした。サンカ人の選択とは、「それでも生きねば」という生へのこだわりであったと私は考える。

2014.09.08 Mon l 本・文芸 l top ▲