民主党代表選で菅再選を見届けてから、いつものように郵便局&散歩に出かけました。「小沢待望論」が盛り上がる現在の日本は、「天皇親政」を実現しよう青年将校が登場した状況と似ている、と書いていた有名ブロガーがいましたが、実際には「小沢待望論」もネットの一部だけで、世間ではそれほどでもなかったということでしょうか。それにしても、小沢一郎のことになると、支持するしないに関わらず、どうしてみんなこのように誇大妄想に陥り、ことさら虚像化したがるのでしょうか。それが不思議でなりません。
そんなことを考えながら、菊名の駅前をとおりすぎて、東横線の踏切を渡りました。駅はよく利用するものの、菊名のことはまったく知らないので、周辺を歩いてみようと思ったからです。ウソかマコトか、菊名には「菊名夫人」という呼び方があるそうです。「菊名夫人」なんていうと、なんだかフランス書院のポルノ小説のタイトルみたいですが、シロガネーゼと同じように、菊名に住んでいるハイソな(古い?)御婦人という意味だそうです。それを聞いたとき、私はどこにそんな人間がいるんだと思いました。菊名のあのゴチャゴチャした駅周辺を思い浮かべると、とてもそんなハイソな御婦人がいるとは思えませんでした。
ところが、踏切を渡ると、三方に上り坂が延び、それに沿って立派な門構えの一戸建てが並んだ扇状の住宅街が出現したのです。やはり、ここでも”横浜の法則”は生きていたのでした。つまり、成りあがった人間は丘の上に住むという法則です。我々下層貧民は、駅から5分だとか自慢をしていますが、所詮は湿気の多い、昔はレンコン畑だったような低地に住むしかないのです。ただ、地元の事情通によれば、名にし負う「役人天国」の横浜市にふさわしく、今は丘の上の住人は公務員若しくは元公務員が多いそうです。私は坂道を上りながら、こういうところに「菊名夫人」は住んでいたのかと思いました。
しばらく尾根伝い(?)に住宅街の中を歩いたあと、あてもなく坂道を下ると、池のある大きな公園に突きあたりました。そして、その先に妙蓮寺の駅が見えました。かつて妙蓮寺に住んでいた四方田犬彦氏が、『散歩の達人』の中のエッセイで、妙蓮寺のことを書いていたのを読んだ覚えがありますが、妙蓮寺も落ち着いたいい街です。東横線沿線というと、どうしても駅周辺のゴチャゴチャしたイメージが浮かびますが、駅から離れると閑静な住宅街が広がっているところが多く、東横線沿線が住宅地として人気がある理由がなんとなくわかった気がします。この伝でいけば、「妙蓮寺夫人」もいるのかもしれません。
妙蓮寺から横浜方面の電車に乗って、「馬車道」で下車しました。と言って、どこか行くあてがあるわけではありませんので、馬車道から伊勢佐木町をブラブラしました。昔で言う「伊勢ブラ」です。今は「伊勢ブラ」なんて言うと、風俗通いのように思われますが、昔は「銀ブラ」にかけて横浜でも「伊勢ブラ」というのがあったのだそうです。伊勢佐木町は前の記事(伊勢佐木町から横浜橋)のすぐあとに、案の定、神奈川県警の浄化作戦があったみたいで、外国人の姿がめっきり少なくなっていました。彼らにしてみれば、11月のAPECまで息をひそめて嵐がとおりすぎるのを待つしかないのでしょう。
伊勢佐木町の有隣堂に寄ったのですが、ほしい本がなかったので、みなとみらいのくまざわ書店に向かっていたら、途中の万国橋のあたりでときならぬ豪雨に襲われました。それで、ほうほうの体でワールドポーターズに駆け込み、2階の通路にあるベンチで雨が小降りになるのを待ちました。雨に煙る夕暮れの汽車道を眺めていたら、ちょっとせつない気持になりました。隣のベンチでは、ワイシャツ姿の中年の男性が、缶ビールを飲みながら弁当を食べていました。家に帰りたくないんだろうかと思いました。平日でしかも雨ということもあるのか、みなとみらいはどこも閑散としていました。
帰って万歩計を見たら、今日は1万6千歩でした。
そんなことを考えながら、菊名の駅前をとおりすぎて、東横線の踏切を渡りました。駅はよく利用するものの、菊名のことはまったく知らないので、周辺を歩いてみようと思ったからです。ウソかマコトか、菊名には「菊名夫人」という呼び方があるそうです。「菊名夫人」なんていうと、なんだかフランス書院のポルノ小説のタイトルみたいですが、シロガネーゼと同じように、菊名に住んでいるハイソな(古い?)御婦人という意味だそうです。それを聞いたとき、私はどこにそんな人間がいるんだと思いました。菊名のあのゴチャゴチャした駅周辺を思い浮かべると、とてもそんなハイソな御婦人がいるとは思えませんでした。
ところが、踏切を渡ると、三方に上り坂が延び、それに沿って立派な門構えの一戸建てが並んだ扇状の住宅街が出現したのです。やはり、ここでも”横浜の法則”は生きていたのでした。つまり、成りあがった人間は丘の上に住むという法則です。我々下層貧民は、駅から5分だとか自慢をしていますが、所詮は湿気の多い、昔はレンコン畑だったような低地に住むしかないのです。ただ、地元の事情通によれば、名にし負う「役人天国」の横浜市にふさわしく、今は丘の上の住人は公務員若しくは元公務員が多いそうです。私は坂道を上りながら、こういうところに「菊名夫人」は住んでいたのかと思いました。
しばらく尾根伝い(?)に住宅街の中を歩いたあと、あてもなく坂道を下ると、池のある大きな公園に突きあたりました。そして、その先に妙蓮寺の駅が見えました。かつて妙蓮寺に住んでいた四方田犬彦氏が、『散歩の達人』の中のエッセイで、妙蓮寺のことを書いていたのを読んだ覚えがありますが、妙蓮寺も落ち着いたいい街です。東横線沿線というと、どうしても駅周辺のゴチャゴチャしたイメージが浮かびますが、駅から離れると閑静な住宅街が広がっているところが多く、東横線沿線が住宅地として人気がある理由がなんとなくわかった気がします。この伝でいけば、「妙蓮寺夫人」もいるのかもしれません。
妙蓮寺から横浜方面の電車に乗って、「馬車道」で下車しました。と言って、どこか行くあてがあるわけではありませんので、馬車道から伊勢佐木町をブラブラしました。昔で言う「伊勢ブラ」です。今は「伊勢ブラ」なんて言うと、風俗通いのように思われますが、昔は「銀ブラ」にかけて横浜でも「伊勢ブラ」というのがあったのだそうです。伊勢佐木町は前の記事(伊勢佐木町から横浜橋)のすぐあとに、案の定、神奈川県警の浄化作戦があったみたいで、外国人の姿がめっきり少なくなっていました。彼らにしてみれば、11月のAPECまで息をひそめて嵐がとおりすぎるのを待つしかないのでしょう。
伊勢佐木町の有隣堂に寄ったのですが、ほしい本がなかったので、みなとみらいのくまざわ書店に向かっていたら、途中の万国橋のあたりでときならぬ豪雨に襲われました。それで、ほうほうの体でワールドポーターズに駆け込み、2階の通路にあるベンチで雨が小降りになるのを待ちました。雨に煙る夕暮れの汽車道を眺めていたら、ちょっとせつない気持になりました。隣のベンチでは、ワイシャツ姿の中年の男性が、缶ビールを飲みながら弁当を食べていました。家に帰りたくないんだろうかと思いました。平日でしかも雨ということもあるのか、みなとみらいはどこも閑散としていました。
帰って万歩計を見たら、今日は1万6千歩でした。