
永江朗著・『セゾン文化は何を夢みた』(朝日新聞社)を読みました。著者の永江朗氏のことは、『噂の真相』の「メディア異人列伝」で知っていましたが、かつてセゾンの子会社・ニューアート西武の社員で、池袋のアール・ヴィヴァンや渋谷のカンカンポアで働いていたというのは初耳でした。著者がセゾンに勤務していたときと私が西武(セゾン)を担当していたときはちょうど時期的に重なるのですが、あの頃がセゾンにとっていわばいちばんいい時代だったと言えるのかもしれません。
それにして、この本の中でも、阿部和重(作家)・常磐響(デザイナー)・保坂和志(作家)・中原昌也(音楽家/作家)・佐々木敦(批評家)・車谷長吉(作家)・田中りえ(作家)などの名前が出てきますが、現在活躍しているクリエーター達の中にセゾンOBが多いというのは、今更ながらに驚かされますし、と同時に納得もできます。
あるとき、売場の係長が朝礼で、「先日、会長はぜひこの本を読むようにとおっしゃったそうです」と言って、市川浩の『精神としての身体』を紹介したのだそうですが、いかにも西武(セゾン)らしいエピソードだなと思いました。会長というのは、もちろん堤清二氏のことです。
著者は、「それもセゾン系の空気だったのだ」と言います。「ボードリヤールやフーコーやコジェーヴを語ることと、洋服や本やテーブルを売ることがつぎ目なしに連続していると信じられる空気」、そういった空気がセゾンをセゾンたらしめていたのだと。
ただ、この本では著者が在籍した美術や書籍関係の部門を中心にとりあげているために、やや偏ったところがなきにしもあらずでした。もっとも、私が担当していた「十一階から下」にしても、ほかのデパートに比べて西武がハチャメチャに際立っていたことはたしかです。これほど刺激的で面白くてワクワクするデパートはありませんでした。阿部和重は、「シブヤ系」より「セゾン系」と呼ばれる方がリアルだと言ったそうですが、その気持ちはよくわかります。
そのセゾン文化の司令塔が西武百貨店文化事業部であり、そして、最前衛に位置するのが、堤清二氏が「時代精神の根據地」と呼んだ西武美術館(セゾン美術館)でした。80年代、西武百貨店に入社する新卒者の8割が文化事業部を希望していたという逸話も、あながちウソではなかったのかもしれません。
では、我々のまわりでも多くの信奉者を生んだセゾン文化とはなんだったのでしょうか。「七八年にジャスパー・ジョーンズを池袋の人に見せる、八一年にマルセル・デュシャンを池袋の人に見せる。そのとき、大衆を啓蒙しようという気持ちはおありでしたか」という著者の質問に対して、辻井喬(堤清二)氏は「ないです」と即答したのだとか。啓蒙なんて大それたことではなく、「単純に、見せたいから見せた」だけだと。しかし、エゴン・シーレだって西武美術館で回顧展がひらかれるまでは日本ではほとんど無名だったのです。そう考えれば、やはりすごいことだし、ほかのデパートではまず「ありえない」ことなのです。
しかし、世間の目には、それはセゾンの「文化戦略」あるいは「イメージ戦略」と映っていました。そして、セゾングループが行き詰ったのも、そういった本業をおろそかにした“文人経営”が原因だと言われました。そのことについて、著者はつぎのように書いていました。
セゾン文化について否定的に語る人びとは、文化を商売の道具に使った、文化を口実に儲けようとした、というふうに言う。
だがその危険性と矛盾については、堤清二も紀国憲一(引用者注:元文化事業部長。のちに常務取締役)も百も承知だったのだ。商売にすれば、文化はただの商品になる。しかし人間の営みとしての消費という行為を考えたときに、そこでは文化がとても重要なものとなる。文化が事業として成り立ち、事業が文化として成り立つとすれば、そこにしかないだろう。
「文化は事業になっても、芸術は事業にならない」というのは、堤清二氏の有名な言葉ですが、その言葉の意味するものがここに集約されているように思います。そして、それがセゾン文化のエートスだったと言ってもいいのではないでしょうか。
紀国氏は、「堤さんが一生懸命考えたのは近代の超克ということであって、近代はどこまでつくりえるのか、どこまでつくりえたのかということがあの人の最大のテーマだった」と言ってましたが、そう考えれば、著者が「あの時代のユーロ・コミュニズムと、あの時代のセゾングループあるいは堤清二が目指していたものとに、私は似た匂いを嗅いでいた」と言うのも、なんとなくわかる気がします。私も前に、セゾングループは堤清二氏らオールドコミュニスト達の見果てぬ夢だったのではないかと書きましたが、でもそれは、どこまで行っても見果てぬ夢にすぎなかったように思います。
だからと言って、セゾンが完全なオリジナルなものだったのかと言えば、そうとも言えない部分があったことも事実です。渋谷ロフトのオープンの際、品出しのために初めて店舗の中に足を踏み入れた私は、思わず心の中で叫びました。「これはアピタのパクリじゃないか!」と。名古屋の名駅のアピタとそっくりだったからです。しかも、担当したインテリアデザイナーも同じでした。むしろ商品構成ではアピタの方が一日の長がありました。しかし、西武(セゾン)には間違いなく思想がありました。アピタにはそれがなかったのです。
あれから20有余年、ロフトはそれこそ雨後の筍のように全国各地にできました。しかし、もはやセゾンはセゾンではないのです。もちろん、ロフトもロフトではない。そこには「事業としての文化」という思想も「時代精神の根據地」という戦略もありません。堤清二氏は、セゾングループからなんとかして「西武」の名前を消したいと思っていたそうですが、それも叶わぬ夢に終わりました。
ただ、たとえ著者が言うようにセゾン文化が同床異夢であったとしても、西武(セゾン)という時代を牽引する「すごい」デパートがあったという事実は、強調しても強調しすぎることはないと思います。そのためにも、この本をきっかけに、もっといろんな角度からセゾンの歴史は書かれるべきだし、語り継がれるべきでしょう。もう二度とあんなデパートが生まれることはないでしょうから。
>>渋谷と西武