師岡熊野神社3

最近、天候不順のせいもあって散歩もご無沙汰していましたので、久しぶりに午後から散歩に出かけました。駅の反対側にある熊野神社(師岡熊野神社)に行ってみようと思ったのです。熊野神社は、名前のとおりいわゆる熊野信仰の流れをくむ神社で、このあたり一帯を守る「郷社」です。

熊野神社にはおととし「苦しいときの神頼み」で一度行ったことがあるのですが、その後の不信心で道順を忘れてしまいました。それで、あてずっぽうに環状2号線をトレッサの方に向かっていたのですが、このままでは本当にトレッサに行ってしまいます。それで、前からやってきたお年寄りに、「熊野神社はどっちに行けばいいんですか?」と訊きました。すると、左折して住宅街の中の道に入り、さらに進んで突きあたりをもう一度左折すれば右手にあると言うのです。ということは、綱島街道の方向に戻るということで、どうやら私はえらく遠まわりをしていたみたいです。案の定、教えられた道をしばらく歩いていたら、前から髪を紫色に染めた見覚えのある老女がやってきたのでした。彼女は、先程駅前の銀行のATMでお金をおろした際、私のうしろに並んでいた老女です。私も身体が大きくて特徴があるので、相手も気がついたらしく、怪訝な顔でこっちを見ていました。なんとなくバツが悪かったので、顔をそむけて横を通りすぎました。

熊野神社でお賽銭をあげようと小銭入れを見たら、百円玉がないのです。中は1円と10円玉だけです。かと言って千円札を入れるのはもったいないし、一瞬社務所で両替をしようかと思いました。でも、両替をしてお賽銭をあげるというのも変な話なので、人に見られないように手のひらで隠してそっと10円玉をお賽銭箱に入れました。そして、いつものように「無病息災」「商売繁盛」を交互にお願いしました。

熊野神社のあとはいったん綱島街道に出て(なんだこんなに近かったのかと思いましたが)、かの大倉山ヒルタウンを左手に見ながら綱島の方に進みました。そして、大綱橋の手前から再び右折して駒岡小学校の方に向かいました。先にあるジャスコ(駒岡店)に行ってみようと思ったのです。このあたりはかつては倉庫や工場が立ち並ぶ一帯であったことがわかります。今でもそういった建物がいくらか残っていますが、多くはマンションに変わっています。それにしても、どこまで行ってもマンションか一戸建ての住宅ばかりです。駅からどんどん離れても、いっこうに住宅が途切れることがありません。駅までどうやって行くんだろうと思うような場所でも住宅が立ち並んでいるのでした。

ジャスコに寄ったあと、Uターンして鶴見川の土手を川上の方に戻りました。冬の夕暮れ、土手の上を歩いていると、いろんなことを考えました。その多くは自分の人生のことです。もちろん、悔恨もありますが、それ以上に「思えば遠くに来たもんだ」というような寂寥感があります。今朝、九州の友人から、自分達の高校時代を題材にした映画が撮影されることになったので、一度田舎に帰って来ないかというメールが来ました。以前だったら「くだらない」と一蹴するだけだったでしょうが、なんだか急に郷愁をそそられる自分がいました。

でも、もうあと戻りはできないのです。どこまでも歩いて行くしかない。ときに「どうして、こんなところにいるんだろう?」と思わないこともないけど、しかし、歩いて行くしかない。どんどん遠くなっていくけど、歩いて行くしかないのです。

結局、土手を新羽橋まで歩きました。帰って万歩計を見たら、1万5千歩を超えていました。

師岡熊野神社1

師岡熊野神社2
2011.02.17 Thu l 横浜 l top ▲