東日本大震災を受けて在日フランス大使館は13日、余震の可能性や福島第1原発での事故を踏まえ、首都圏にいるフランス人に対し、滞在すべき特段の理由がない場合は数日間、関東を離れるよう同大使館のウェブサイトで勧告した。
日本への旅行を計画している市民には旅行延期を呼び掛けた。(共同)
(msn 産経ニュース 2011.3.13 22:38)
イラク、バーレーン、アンゴラの東京の在日大使館が一時閉鎖することになった。福島第一原発の事故で退避したとみられる。
外務省によると、イラク大使館については16日付で連絡があり、17日に閉鎖すると伝えられた。バーレーン、アンゴラの両大使館は15日付で連絡があった。在東京のパナマ大使館も神戸市に大使館の機能を移したという。
東京のオーストリア大使館も15日、大使はじめ館員の大半が東京を離れ、大使館機能を大阪市内の名誉総領事館に移した。
大阪で勤務を始めたシュテファンバストル大使は16日、朝日新聞の電話取材に「東京の停電や交通事情のほか、万が一の時の空港の利便性も考えた。原発の状況が不透明なので本国と協議して大阪に移った」と述べた。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月16日21時16分)
【北京=峯村健司】中国外務省は15日夜、東日本大震災の被災地にいる中国人に対し、避難勧告を出した。福島第一原子力発電所で発生した事故を受けた措置で、在日大使館や新潟総領事館は、宮城、福島、茨城、岩手4県に避難用のバスを派遣し、成田、新潟両空港から帰国させる準備を進めている。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月16日22時37分)
これを過剰反応だと笑うことができるでしょうか。唯一の被爆国である日本は、放射能に対してはとりわけ神経質だと言われてきましたが、今回の東電福島第一原発の問題に関しては、退避勧告を受けた地域の住民以外は案外のんびり構えているような気がしてなりません。
既に首都圏の大気中でも放射性物質が検出されていますが、半径20キロ圏という退避勧告にどれだけ合理的な根拠があるのかわかりません。アメリカ政府は現段階では「80キロ」と設定しているようです。
【ワシントン=望月洋嗣】米国防総省のラパン副報道官は16日、東日本大震災の救援活動にあたる米海軍などの要員に対し、福島第一原発の半径約80キロ以内への立ち入りを禁止したことを明らかにした。「救援活動に際しての米兵の安全を確保するため」としている。
日本政府は同原発から半径20キロ以内には避難を、20キロから30キロ以内では屋内退避を指示している。国防総省は、航空機を運用する兵士らには、同原発から約112キロ以内に近づく際は、ヨウ素剤を服用することを義務づけた。
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在日米大使館は17日未明、日本に滞在している米国市民に対し、福島第一原発の半径約80キロ圏内からの退避を勧告した。退避が困難な場合は、室内に残るようにとしている。
(朝日新聞 asahi.com 2011年3月17日4時41分)
今回の事故で私は二つの”不幸”があったように思います。ひとつは、言うまでもなく菅政権(民主党政権)の存在です。「計画停電」でもそうですが、どこが「政治主導」だと言いたくなるほど、情報を管理する東電にただふりまわされるだけなのです。原子炉の冷却に海水を利用するのが遅れ、問題を深刻化させた件でもそうですが、我々素人目で見ても、ただ右往左往するだけで、そのテイタラクは目を覆うばかりでした。経産省の原子力安全・保安院にしても、囲碁番組の解説者のように、ただ東電が小出しにする情報を追認しもっともらしく解説するだけなのですから、お話になりません。
もうひとつの”不幸”は、テレビなどで解説している学者や専門家が今まで「原発は安全だ」「地震がきても大丈夫だ」と言ってきたような御用学者ばかりだということです。彼らの(事態をできるだけ小さく見せる)デマゴーグが、上記のような日本と海外の現状認識の違いになっているように思えてなりません。
かつては原発に警鐘を鳴らす声がたくさんありました。しかし、東電をはじめとする各電力会社は、政府やマスコミと一体となって反対論を徹底的に封じ込め、”原発ファシズム”ともいうべき「もの言えば唇寒し」環境をつくってきたのでした。東電OL殺人事件の際も、そういった”東電の闇”との関連を指摘する声があったくらいで、原発反対運動を治安問題として扱い、地域住民の監視・思想調査や警察による取締りが徹底されたのもよく知られていることです。そして、マスコミは電力会社の巨額の宣伝費に、地元自治体は国の原子力行政によってばらまかれる交付金と原発がもたらす雇用に、ひれ伏し沈黙したのでした。また、多くの芸能人が直接間接を問わずクリーンエネルギーとしての原発の宣伝に関与してきたのも事実です。
このような異なる意見を排除した環境が”不幸”をさらに増幅させたような気がしてなりません。それは独裁国家がやがて行き詰まり崩壊していく過程と似ています。まして科学というのは治安問題でも政治問題でもないはずです。そのうち真実があきらかになっていくでしょうが、決してオーバーではなく、もうとりかえしがつかないほど事態が切迫しているのは間違いないでしょう。